花に十日の紅なし、権は十年久しからず
さて「卒○○」流行りだからというわけはないが、いや、その流行に乗っかって「卒社の会」を実施することをオススメしたい。
「卒社」とは何だと思われるかもしれないが、社会から離れる「卒社会」のことではない。会社を卒業する「卒社」である。
中小企業の経営者は一線を退き会長に就任した後も代表権を持ったままだったり、「代表権を持たない取締役会長になりました」と言っても、それまでと変わらず毎朝出社し、机も、どうかすると使っている部屋さえ変わらず、変わったのは名刺の肩書だけという人は結構いるだろう。
たしかに自分が創業者だったり、自分の代で成長させた会社ともなれば愛着はあるだろう。
だが、本当に愛着だけだろうか。そこに権力欲は存在しないか。
ましてや後継者が実子でなく他人(娘婿を含む)ともなれば、余計に執着しはしないか。
権力とは怖いもので、一度握ると手放したくなくなるし、猜疑心が強まり、孤独になる。
だから余計に権力に執着し、一線を離れても権力、会社で言えば経営権、なかでも人事権を手放そうとしない。
その結果周囲はイエスマンばかりになり、入ってくるのは耳当たりのいい情報ばかりだ。
「やはり会長でなければ」「相談役がいなければ」とゴマを擦られ、それを社員の総意と勘違いし、実のところ陰で迷惑がられていると気付かずにいる。
その典型的な1例がフジテレビ、フジ・メディア・ホールディングスの日枝氏だが、これは対岸の火事ではない。企業の大小に関係なく起きる、あるいは起きていることである。
少し古い話になるが九州のデパートで中興の祖と謳われた人物がいるが、彼は代表取締役社長の後も代表権を持ったまま会長、相談役を歴任し、会社を離れるまで毎日、売り場を視察して回っていたとい伝説の人。
これでは社内の誰もが社長などより彼の顔色を窺い、彼の言うことを聞くようになるのは当然で、フジグループの日枝氏そっくりだ。
この両者には他にも共通点がある。それは創業者一族ではなくサラリーマン社長という点。つまり雇われ社長の方が権力に取り付かれやすく、一度手にすると手放さない傾向が強い。
さて上記の御仁、私が同社を取材した時は彼が亡くなった後で、後継社長に長期政権の是非、特にデメリットを質すと、さすがに直接的な批判言辞は避けたが、こちらの質問に「そういうことはあります」と間接的ながらも長期政権のマイナス面を認めた。
ほかにも娘婿を社長にしたが数年後に後継者を降格させ、自分が代表取締役会長兼社長に就任した上場会社もある。それから10年近く後に息子を社長に据えたから、娘婿は鼻からショートリリーフで、実権は本人が握り続けていたわけだ。
こうした例は全国で見ればもっと多く、その筆頭に挙げられるのが先頃亡くなられたがスズキの鈴木修氏だろう。
「権不(腐)10年」という言葉がある。
「花に十日の紅なし、権は十年久しからず」と言う。
権力は10年で腐るという意味であり、使うなら「権不10年」より「権腐10年」の文字の方が妥当だろう。
10年が15年でも、要は長期政権は必ず淀みが出るということで、これはいかなる政権にも当てはまる。ましてや相談役になってまで代表権を持ち続けるなんてのは異常も異常だし、40年も実権を持ち続けるのも異常だ。
鈴木氏の場合はたまたまうまくいったというだけで、それでも裏を返せば40年近くの間、後継者を育成できなかったのだから決して褒められた話ではないだろう。
(3)に続く
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