栗野的視点(No.857) 2025年5月16日
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「卒社の会」「卒社式」のススメ
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「卒業」流行りの昨今だが
昨今「卒業」流行りである。
といっても卒業式のことを言っているのではない。
番組から降板することを「卒業」と言い、グループからの脱退を「卒業」と言い換えて発表する。
最近は「ソツコン」という言葉まで耳にする。言葉だけ聞けば何のことやら分からないが文字で書けば「卒婚」となる。
離婚をきれいな言葉で言い換えただけじゃないかと思っていると、必ずしもそうでない部分もあるらしい。
結婚と離婚の中間に位置するというか、婚姻関係は解消せず住まいは別々で、互いに相手に干渉しない関係だとか。
それって別居のことだろうと思うが、別居というほど冷え切った関係ではなく、互いの生き方を尊重し、それぞれ別の人生を歩むが、新しい相手と再婚するわけでもないという都合のいい関係のようだから、年配夫婦の間で「卒婚」は流行りそうな気はする。
要は当事者同士が問題に真っ正面から向き合わず、なあなあ、まあまあの関係、曖昧なままにし、互いに傷付くのを防ぎたいがために考え付いた言葉だろう。
それがいいことなのか悪いことなのかはともかく、一種の誤魔化しであるのは間違いない。
言い換えが悪いわけではないが、言葉の概念をあやふやにし事の本質を覆い隠してしまうことにも繋がる危険性がある。
例えば「セクハラ」という言葉。このところ芸能人が「セクハラ」で降板したり、活動自粛、中には芸能活動を廃業した者までいるが、「セクハラ」とオブラートで包んだような言葉で報道されると、ちょっと触った程度だったり、性的な言葉を発したのと同じような感じで受け止められる危険性がある。
だが「強姦」「性的暴行」と報じられれば嫌がる相手に無理強いをしたことが分かる。
特に沖縄その他の米軍基地周辺で米兵による「セクハラ」が「強姦」「性的暴行」と報じられれば、国民の怒りは増すだろう。
ただ、これには両側面ある。
加害者に向けられる視線や、その背景に対する国民の感情は厳しくなるが、その一方で被害者に対する差別、偏見を生みかねず、内容を曖昧にする「セクハラ」という言葉を使えば被害者を2次被害から守れるという側面もある。
言葉を言い換えることで事の本質、厳しい事実に向き合うことをせず、霞の向こうを見るように朧気にさせるのは日本人がよく使う手で、敗戦を「終戦」と言い換えることで戦争を直視することを避けてきた。
同じ敗戦国でもドイツと日本が決定的に違うのはこの点だ。
(2)に続く
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