社会のルールを教えず放任
さて、子は親の背中を見て育つのか、育たないのか。
以下2つの例を見てみよう。
A氏の場合
団塊世代の親の後を継いで個人経営で保険会社の代理店を経営している。人当たりはよく、異性にモテなくもないと思うが未だ独身。親は相手を見つけて早く結婚して欲しいようだったが、彼女はいない風。
一度それとなく本人に尋ねてみたが返って来たのは「面倒くさい」。要は相手に合わせて食事をしたり、映画を観たりというデートの時間を割くぐらいより自分の好きなことに時間を使った方がいいという、今風に言えば「タイパ」の問題か。
社会人になって会社勤めをしていたが、30歳前で辞めて親の保険代理店の仕事を手伝い始め今に至っている。
「社会人としての基本的なことを知らない」というのが親の懸念だったが、それを自分で教えるのではなく教育を他人に頼った時点で親の責任を放棄したと取られても仕方がない。
だが人が教えてくれるのは20代までで35歳を過ぎれば自立している(はず)と見做し社会常識もルールも教えなくなる。いうなら突き放しだ。ましてや40代半ばともなれば逆に20代の若者に教える立場になる。
「あいつはダメだ。保険代理店を替える」。C氏がそう憤るので何があったのかと尋ねれば入院費の請求をするためにA氏に電話したが、事務的な対応に終始したと言う。
「生命保険の代理店だから第一声は入院されていたんですか、知らずに失礼しました。手術もされたのですか、入院期間はどれくらいですか、などの言葉があってしかるべきだろう。実際他の保険会社の担当者はそう言ってその日の内に保険金の手続等に来てくれた」
なるほど、保険代理店の対応としては最低だ。しかもC氏はその代理店とはA氏の親の時から付き合っているだけでなく、C家の保険はすべてその代理店で加入していると言う。
「ところが妻が亡くなって1年後、家に来たAの親父は妻の位牌の前に座り手を合わせることもしなかった。親が親なら子も子という感じだ。これが保険代理店でなければそこまで怒りはしないが保険代理店だよ。T海上あんしん生命に電話して代理店を外してくれと言った」
見本にならなかった親の背中を見て子は育ってきたわけで、親が果たすべき役割は大きいだろう。
(3)に続く
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