記憶の隙間を埋める旅(2)
〜古湯と新湯、2つの道後温泉


 それではシルバーウィークに四国に行くかと話し合い、高知は行ったことがないから行きたいねなどと計画しシミュレーションしてみると、松山ー高知は高速道路がなく移動時間がかかることが分かり、これは非効率と高知を外し松山で2泊することにした。
 松山2泊は1つには伊予市で後輩に会いたかったからなのと、出来れば松山以西の宇和島、八幡浜、せめて大洲・内子には行きたいと考えたからで、それなら道後温泉1泊では時間が足りないから、松山市内でもう1泊しようということになった。
 そう言ってくれたのはパートナーの方からで、彼女にしてみれば学生時代の思い出を辿る旅でいいじゃない、私も見てみたい、と譲歩してくれている。
 それが分かるからこちらも自分の希望のみ通す訳にはいかないから、せめて道後温泉で1泊し、温泉好きな彼女を満足させたり、愛媛観光をさせたいと考える。

 言うなら互いに譲歩する妥協の旅で、恐らく多くの人が似たような旅になっているのではないだろうか。趣味が同じと言っても完全に一致することはまずないし、見る箇所や視点、時間の配分に対する考え方が違うのは当然で、それを突き合わせれば妥協の産物にならざるを得ない。

これがもし弟や学生時代の友となら純粋に昔の記憶を辿る旅をすることができる。当時よく行っていた喫茶店(恐らく今はなくなっているだろうが)や、その頃付き合っていた彼女が住んでいたアパートや書店、古本屋などを歩き、当時の記憶を手繰り寄せることもできただろうが、さすがにそこはタブー。触れることも、それらしい所にも近寄らず、当たり障りのない観光旅行にちょっと昔の思い出を添えただけの旅にしておく。

 だから不満、となるわけではない。旅とはある意味そういうものだろうと思うし、旅の満足度は出発前ではなく帰ってきた後で決まる。
 計画段階では乗り気がなく相手への譲歩だった場所でも、いざ行ってみると事前の予想とは違う発見があったり、興味を持つ物事に出合ったりすることがある。だから面白いし、その逆もある。

古湯と新湯、2つの道後温泉

 道後に行けば是非とも入りたかったのが道後温泉。といっても一般によく知られている、趣のある建物の道後温泉ではなく「新湯」の方。といってもほとんどの人はご存知ないかもしれないが、道後温泉の共同浴場には古くからある「古湯(ふるゆ)」と、それよりずっと後に造られた「新湯(しんゆ)」の2つが存在していた。そして後者の「新湯」は道後公園内にあったのだ。
 温泉好きのパートナーには「古湯」に入り、十二分に道後温泉気分を味わって欲しかったが、私の方は学生時代によく入っていた「新湯」にもう一度入りたかった。


 道後温泉本館(古湯)

 そこで道後のホテルに着くと、チェックイン手続きをしながら「夕食の前に道後温泉に入ってきますから、夕食はその後で」と伝えると、フロント係りが少し困惑した顔をし「この時間ではもう入れないと思います」と言う。
 何をバカな。道後温泉がそんなに早く閉まるわけないだろう。昔は入浴時間に制限などなかった。一体いつから時間制限を設けるようになったのだ。
 こちらの怪訝な顔を見て取り、今は予約制になっていて予約券がないと入れないし、その予約券の配布も朝10時から配布される。予約券をもらうために皆行列するほどで、仮に予約券が手に入ったとしても当日入浴できるかどうか分からない。
 申し訳なさそうにそう言うではないか。そうか、コロナ禍だから入場制限をしているのかと多少納得しかけたがそうではなく、改装中だからということらしい。改装が終わるまで、この先何年間かは入場制限が続くことになります。申し訳ありません、と恐縮された。

 まあ、そこまでして「古湯」に入りたいと思わないので、では「新湯」に入りに行くと伝えると、今度は明らかに怪訝な顔をした。
 「新湯を知らない?」
 「はい、聞いたことは御座いません。どこにありますか」
 おいおい、道後に居て「新湯」を知らないとはモグリか。そう思いながらも60代と思しき男性従業員がいたので彼に尋ねると、「ああ、ありましたね。学生の頃入ったことがありますよ」と懐かしそうに言うではないか。
 そう、間違いなく「新湯」はあったのだ。「古湯」から200mくらいしか離れてない道後公園の中に。だが、ホテルの従業員が知らないということは、すでに廃止になっていると知り、結局その日はホテルの大浴場で我慢することにした。道後温泉に入るのを楽しみにしていたパートナーには気の毒だったが。
                           (3)に続く


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