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 記憶の隙間を埋める旅(3)


 
 湯築城跡資料館

 翌午前中、「新湯」跡探しに道後公園内をウロウロし、見かけた人に「新湯」跡を尋ねるが一様に知らないと言うのには参った。こちらが知っているのに道後の人間が知らなくてどうするんだ。
 公園内を探しながら歩いていると湯築城跡資料館という建物を見つけた。ここなら知っているだろう。そう思い、できるだけ年配の男性に尋ねるも相変わらず返事は同じ。

 一体、松山の人間はどうしたのだと多少腹立たしさを覚えながらも、もしかすると資料館が建っている場所に「新湯」があったのではないだろうかと思い直した。
 湯築城の遺跡が発掘されたため「新湯」を廃止したか、「新湯」を閉めた跡に城跡の遺跡が見つかったのではないだろうか。それならこの場所にこそ「新湯」があったのだろう。そう考えながら伝えると「ここは以前、動物園があった場所です」と言う。
 ああ、そう言えば当時、動物園があったと思い出した。動物園には行ったことがないが。いや、もしかすると一度くらいは行ったことがあるかも分からないが、象がいたのかライオンがいたのか、ほとんど記憶にない。

 いやいや、動物園のことなどどうでもいい。問題は同じ道後公園にある資料館の、私と左程変わらないと思しき年齢なのに道後公園の歴史を知らないのはあまりにも怠慢。湯築城のことだけ知っていればいいわけではないだろう、と腹立たしかったが、知らないものは仕方ない。

 だが、諦められない。「古湯」にも入っていたが、「新湯」の方をよく利用していたし、道後公園の近くに下宿してからはできるだけ1時限目の講義は取らないようにし、道後温泉で朝湯に浸かってから大学に行っていたわけで、私にとっては道後温泉=新湯。青春そのものと言うのは大袈裟だが、学生時代の思い出に直結した場所である。だからせめて跡地ぐらいは確認したい。

 だが誰も跡地を知らないのなら諦めるしかないかと思いかけた時、公園近くの米屋でかつてのお譲さんが「知っていますよ」と教えてくれた。


 子規記念博物館

 「今、子規記念博物館が建っているでしょ。あそこに新湯があったんです」
 そうか、あそこだったか。昔の恋人の面影をやっと探し当てた気分だが、分かってしまえば何てことはない。影も形もなくなっているから感慨もない。それでも旅の荷物が1つ降りたような、少し気持ちが楽になり松山を後にできたのはよかった。そして文句も言わず私的な行動に付き合ってくれたパートナーに感謝したい。


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