先進国でなぜ民主主義が危機に瀕しているのか(2)
人は見た目が9割


人は見た目が9割

 ここでも既視感を覚えるが、なぜ彼は居直ることができたのか。それは一定の支持者がいると思えたからだろう。実際、TV報道を観ていても国会、大統領府前に結集し、大統領の弾劾を叫ぶ多数の人々がいる一方で、大統領支持を掲げて結集している人々もいた。

 尹大統領はSNS、中でもユーチューブをよく見ていると言われているから、ユーチューブやSNSで自身を支持する熱心な支持者が相当数存在していることを知り、大統領職を辞任せずに頑張れば世論はやがて自分の正当性を認めるに違いないと、彼が考えたとしても無理はない。
 もしかすると日本の兵庫県知事の動きもユーチューブ等で見て知っていたのかもしれない。

 とにかく非を認めないこと、自身の真意を支持者に向かって訴え続けること、その場合、既存媒体ではなくユーチューブ等インターネット媒体を使って支持者に直接訴える。そうしていれば情勢は変わるということを米日の最近の選挙から学んだのではないか。
 それにしては既存メディアの統制を行おうとしたのはやはりSNS等のネットメディアではなく既存メディアの発信情報の方に信頼性があると彼が考えたからだろう。

 日本国内でいえば東京都知事選以後、選挙の在り方が変わった。SNSなどのネット情報の動員力、情報拡散力が従来型選挙にとって代わってきた。新聞、TVなどをオールドメディア、SNSなどのネット情報をニューメディアと位置づけ、ネット社会が選挙の在り方を変えたとTVなどでも論じられるようになった。
 たしかにネットによる情報拡散力は侮れない存在になっているが、オールドメディア対SNS・ニューメディアでニューメディアの勝利という対立軸、あるいは二元論的な見方でいいのか。

 「これからはSNSの時代」「今後、選挙はSNSをどう生かしていくかだ」。TVではコメンテーターと称する連中が口を揃えてこう論評している。たしかにそうした側面がありことを否定しないが、新しく見えるのは上着だけで、上着を脱げば見えてくるのは大して変わり映えしない古い中身だったりもする。

 しかし見た目の印象は強く残るし、見た目に大きく影響される。ここで「見た目」と言っているのは外観のことではない。聴覚・視覚といった非言語情報のことだ。
 アメリカの心理学者アルバート・メラビアンは人と人のコミュニケーションにおいて言語情報から影響を受けるのは7%であるのに対し聴覚情報からは38%、視覚情報から55%の比率で影響を受けると唱えた。
 これはメラビアンの法則、あるいは「7-38-55のルール」と言われているが、メラビアンがこの説を唱えたのは1971年。その頃はまだPCもなく、選挙においても主な情報伝達手段は新聞、TV、ラジオ媒体ぐらいだ。
 時代が移って2020年代の現在。非言語情報がメインなのは変わらないが、より一層ウェイトは高まり、人々、特に若い世代ほどユーチューブなどの動画から影響を受けるようになった。

 メラビアンの時代と現在が違うのは言語情報と非言語情報の果たす役割が逆転し、非言語情報が主になり、言語情報、つまり言葉や文章は従の立場に追いやられたことだ。しかも、その役割は1971年当時よりはるかに小さくなっている。
                            (3)に続く

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