人の死をも左右する格差社会(2)
 
〜共依存が貧困格差を隠す


 さらに思い出すのは2007年に「おにぎり食べたい」と書き残し餓死した北九州市の男性(52歳)の件だ。この前後数年は全国で貧困餓死のニュースが相次いだが、最近はほとんど目にしなくなった。状況が改善されたとは思えないが、メディアが取り上げなくなったようだ。
 その理由は明確ではないが、大手メディアは常に横並びで1社が取り上げれば他社が後追い取材をし似たような事件を次々に報じるが、しばらくすると彼らは別のネタを探して追いかけ始める傾向がある。「貧困餓死」は今彼らにとってホットなニュースではないということだ。元々地味なニュースであるのは間違いないが。

 なぜ、そこまで困窮するのだ。生活保護受給制度があるのだから、行政の窓口を訪れれば助けてくれただろうに。そう思われるかもしれないが、助けを求める声を上げなかったわけではない。彼も市役所の窓口を訪れ、一時は生活保護を受給していたが、病気がよくなり(一時的な状況で、実際には変わってなかったのだが)、働けると見做され生活保護を打ち切られた末の餓死だった。
 形式的には本人が窓口で受給辞退届を出したことになっている。しかし、死後、見つかった日記の内容からは半ば「辞退の強要」に近いものがあったことが推測できる。30代の姉妹が餓死後に発見された例もあった。飽食日本と言われる時代に、だ。

 働ける世代の貧困餓死と、高齢者の孤独死・絶望死は分けて考える必要があるだろうが、共通しているのは窮状が外に出てこない、外からは見えにくいということだ。その背景にあるのはコミュニティーの崩壊による人間関係の希薄化と貧困化である。

 生活保護受給に対する行政の対応は一時期、上記のような出来事がかなり取り上げられ、批判を浴びたこともあり改善されたと言われている。実際、福岡市でホームレス支援を行っている団体等に聞いても路上生活者の数はピーク時に比べると減少しているようだ。
 問題は路上生活者のように明らかに困窮と分かる人々への保護対策は進んでいるが、そうでない人達、外部から窮状が見えない人々に対しては逆の対応が行われていることだ。

共依存が貧困格差を隠す

 小泉政権以降進んだ「構造改革」とグローバル化のかけ声の下にいっそう進んだ自由貿易の結果、所得格差が急激に拡大したのはよく知られている通りだ。
 格差社会の問題は格差間の相互移動ができなくなり格差が固定化することだが、それ以上に深刻なのは傍目にはそう見えなかった人達がある日を境に急に困窮化していくことである。
 例えば親と同居している働ける世代の子供、いわゆるパラサイトだが、この親子同居家族が貧困、窮状を見えにくくしている側面がある。
 親子共に元気で仕事をしている間はほとんど問題は起きないが、何らかの理由で片方が働けなくなると途端に困窮する。それはどちらかといえば子供の方が親に頼って生活しているからで、独立して生活している場合にはあまり起こりえない。
 金銭面のことだけを言っているのではない。精神面でも親を頼り、親離れしていない。まあ、この関係は親子だけでなく男女・夫婦の関係でも言えることで、物心ともに相手に依存している関係は結構見られる。
                                               (3)に続く


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