PREMOA(プレモア)

 


人の死をも左右する格差社会(3)
 
〜最小限の葬儀さえ行えない


 同じことは親の方にも言え、両者が互いに依存し合う共(きょう)依存の関係になっている。それ故、共依存関係にあった一方がいなくなるとたちまち困ってしまう。とりわけ親と共同生活を送っている、いわゆるパラサイトの子はまず金銭的に困る。親の年金頼りの生活をし、自身の収入がないか、かなり少ない人は30、40代でも案外いる。
 自活・自立していないと何が問題になるかといえば、様々な部分で親に頼って生活しているから社会的な対応能力が身に付いていない、あるいは社会的な対応を知らない、できないことである。

 親の死後も年金を受け取り続け、年金詐取で訴えられた例を一頃よく見聞きしたが、詐取理由の第一は収入が親の年金頼りだったことだろうが、次は死亡届を出したり、生活保護費の受給申請をするなどといった対応を知らなかったのではないだろうか。
 外出もせず、家に籠もった内向き生活に、他人のことに関心を持たない内向き社会が重なり、このような困窮に気付けなかったと思える。

最小限の葬儀さえ行えない

 親の死亡を隠しての年金詐取問題はそれだけにとどまらず別の問題、死後しなければならない諸々の件の処理が出て来る。
 ところが、これを一人でやろうとすると結構大変。まず死亡届けの提出だが、入院中の死亡なら入院先の医師が死亡診断書を書いてくれるが、自宅で亡くなるとややこしい。かかりつけ医がいて、事前に死亡時のことも相談しておいて、その医師が死亡診断書を書くことを了承してくれていれば、死亡直後にそのかかりつけ医を呼び、死亡を確認してもらう。

 かかりつけ医はいても死亡診断までをしてくれない医師も多いから、上記の手筈はそうすんなりと行く話ではない。
 その場合はどうなるかというと、警察が来て死亡を確認するわけだが、これが結構時間がかかる上に腹立たしいらしい。「らしい」と書いたのは私もまだ経験したことがないからだ。要は事件性のあるなしを調べるわけだが、状況を根掘り葉掘りというか微に入り細に入りというか、まるで犯人扱いされているかのようでとても不快な思いをしたという声さえ聞かれるから、少なくともすんなり行く話ではないようだ。
 私も母の死期が近いと医師から聞かされた時、同じことなら長年住み慣れた自宅に戻り、親しい人達の顔を見てから旅立ちたかろうと考え、実家に連れて帰ろうかどうか随分迷った。だが、道中の負担のことなどを考え、結局その考えは思いとどまったが、後で自宅死は面倒な諸問題があることが分かり、自宅に連れて帰らなくてよかったと思ったものだ。

 こうした面倒臭さだけではない。「地獄の沙汰も金次第」とはよく言ったもので、金がなければ葬式さえ出せない。火葬代は自治体から支給されるとしてもそれは事後の話で、当座の支払いはすべて現金でしなければならない。直葬にしても葬儀社に頼めば最低で約12万円はかかる。
 生活に困窮し、親の年金頼りの生活をしていれば、とてもそんな金は出せないと考えるだろう。死亡届けも出せない、火葬代も出せないとなると、全てを「なかったことにして」いままで通りに生活を続けるしかないと考えるかもしれない。
 その結果が自宅で遺体と同居した生活だったり、遺体を自宅に放置したまま自分は家出という事件が時々ニュースになっている。なんともやるせない。格差社会は人の死まで左右しているわけで、いまや平等なものはどこを探してもない。しかも、これは特殊な例ではなく、格差縮小が図られない限り今後はさらに増えていくに違いない。


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