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人の死をも左右する格差社会(1)
 
〜希薄な人間関係が孤立を生む


 「誰か(行政を含む)に相談すればよかったのに」。多くの人はそう言う。たしかにそうかもしれないと思う。だが、それができず自分達だけで抱え込んでしまった結果、待っていたのは悲しい結末−−。
 「老老介護の末に夫が、妻が、長年連れ添った伴侶を手にかけた」「寝た切り状態の親を献身的に介護し、近所でも評判だった子が親を」なぜ、手にかけるまで追い詰められたのか。

希薄な人間関係が孤立を生む

 この種のニュースに接すると、なんともやるせない気持ちになる。それと同時に割り切れなさともどかしさ、言い様のない憤りを感じてしまう。
「どうして誰かに相談しなかったのだろう。そうすれば助けてくれたのに」と言う同情の声も聞く。その通りだろうと思う一方、「彼らの絶望はそんな簡単な話ではない」と怒りを帯びた声が自分の中で聞こえる。
 誰にも相談できなかった末の、絶望的な選択だったに違いない。後でいくら同情されても時間は戻らない。せめてもう少し前に声をかけていたら、窮状を察していたら、時間を止められたのではないか、とも思う。

 最近、こうした出来事が他人事とは思えなくなってきた。いつ自分も同じ状況になるか分からないという恐怖に似た感情に日々襲われている。
 マンション住まいでは「隣は何をする人ぞ」で隣人のことはほとんど知らない。会えば「おはようございます」「こんにちは」と挨拶を交わすが、それ以上でもそれ以下でもない。それが都会暮らしの「マナー」と互いに心がけているようなところがあり、それ以上の関係には踏み込まない、踏み込めない。
 だから、都会暮らしでは住人は多くても互いに孤立している。何かあってもよほどのことでもない限り相談したりはできない。ましてや、よほど親しい関係でもなければ様子を尋ねにいくことなどできもしない。
 こうした人間関係の希薄さが背景にあるのはまず間違いないだろう。

 田舎だと話は別だ。人間関係がかなり濃くなる。例えば私が帰省すれば向こう3軒両隣は「あっ、帰省されたんだ」「いま在宅」と知られている。時には畑で採れた野菜をもらったりもするし、住人は少なくても皆の目が不審者、見慣れぬ人物を見張るセキュリティシステムとして稼働しているから互いに守られてもいる。
 家の向かいは独り暮らしの高齢者だ。隣町に息子夫婦がいて時々帰ってきて世話をしているようなので、「息子さんのお嫁さんが時々来られているから安心ですよね」と世間話ついでに話すと、「そうなんじゃ。助かっとんじゃ。せやけどな、泊まっていったことは一度もないんじゃ」と寂しそうに話された。
 食事を作ってくれたり掃除をしてくれるのは助かるが、それ以上に欲しいのは話し相手。心の隙間を埋めるコミュニケーションなのだろう。そう感じるから帰省中はできるだけお向かいさんに声をかけ、少しの時間でも話すようにしている。相身互いというところかもしれない。
 一度など大雨警報が出たことを天気アプリが知らせてくれたので、福岡から電話をして安否を確認した。災害時、一人だと心細いのではないか、心配してくれる人がいると思えば多少の気休めぐらいにはなるのではないかと思ったからだ。

 かつて地方では当たり前のように存在したコミュニティもいまは段々なくなり、地方でも人間関係が希薄になりつつある。今後は地方でも同様の出来事が増えてくることも予想される。

◆背景に「隠れ貧困」問題が

 「1億総中流社会」と呼ばれた時代がかつてあった。今ではこの言葉は完全に死語になっているばかりか中流社会そのものがなくなっている。そして多くの人がその事実を認識しているにもかかわらず助けを求める声が上げられないのはなぜか。
 一つには行政の対応の問題があり、もう一つは「中流社会」がある場所にはまだ存在しているからである。それはどこか。75歳以上の高齢者の意識の中だ。
 彼らは高度経済成長期をつくり、それを支え、また実感してきた世代である。故に彼らの意識の中ではまだ「中流社会」は「存在」しているのだ。今風の言い方をすれば「リアル」では存在していないが、彼らにはまだ「存在」しているのだ。

 これを現実と意識の混同、あるいは乖離という言葉で表すのは簡単だが、彼らの中に存在する「中流社会」が声を上げにくくさせている側面がある。「人に頼るな」「自分の力でやれ」と言われ、またそれが曲がりなりにもできた(と思われた)時代であり、彼らはずっとその中で、そうして生きてきた。
 退職後も生活できるだけの年金額はある程度保証されていたこともあり、余計に他人に頼らずになんとか自分達家族だけでと努力しようとしてきたが、肉体も精神もボロボロになり、もう努力したくてもできないという現実に気付いた時、取る手段は2つしかなかった。
 一切を打ち捨て「助けて欲しい」と行政の窓口を訪れるか、自分達の人生に終止符を打つかのどちらかしか。
「じいじ、ごめん」と謝る遺書を残し、自分も自殺した老妻。介護に疲れ果てた後に選んだ心中だ。なんとも悲しく、やるせない事件である。とても他人事(ひとごと)とは思えない。
                                               (2)に続く


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