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「強いリーダー」を待ち望む国民が独裁者を生む。(1)


栗野的視点(No.832)                   2024年8月14日
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「強いリーダー」を待ち望む国民が独裁者を生む。
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 所変われば品変わる、という言葉がある。中国地方と九州を行き来する生活をしていると、そのことを特に感じる。とりわけ夏には。

 ご存知の方がどれぐらいいるか分からないが、NHKTVの毎週金曜日午後7時30分からは各地方局の自主制作番組が30分間放映されている。中国地方は広島ほか5局が持ち回りで制作し放映しているし、九州も福岡ほか各局が持ち回り制作している。
 ただ放映エリアは中国地方は中国地方のみで九州、四国もそれぞれの管内のみの放映で全国放映されることは基本的にない。
 基本的にと言ったのはたまに再放送枠で他エリア制作番組が放映されることがあるからだ。

 そのことに気付いたのは5、6年も前だっただろうか、岡山で放映されていた原爆関係の番組を観て、福岡にいるパートナーにチャンネルをNHKに合わせるよう伝えたところ内容が違っていた。それで気付いたのだった。
 原爆の話は広島、長崎だけに関わるものではないから全国放映すればいいのになぜしないのかと、その時思った。
 中国地方で8月を過ごせば毎年必ず原爆に関連した制作番組を目にする。戦後80年近くになろうとしているのに角度を変え、よく制作するものだと広島局のスタッフの企画力、取材力に感心させられると同時に、こんな内容は中国エリアだけでなく全国枠で放映すべきではないかと思う。それは長崎局の制作番組でも同じだ。

 それにしても岸田首相の挨拶は被爆国日本の首相だとはとても思えない程中身がなかった。まるで他所事のような、当事者感も、覚悟も、まったく感じられない内容、話し方で、広島市長、広島県知事とは大違いだ。
 地元広島出身の首相が、こんな通り一遍の薄っぺらな内容の挨拶しかできないのかと思うと、予想はできたとはいえあまりにも情けない。
 唯一の被爆国である日本が核兵器禁止条約にいまだ不参加なのは妙な話で、本来なら広島出身の岸田首相は今まで歴代内閣の姿勢を一変し、賛成に回ってもいいようなものだが、このご仁にはそんな気概は毛頭もないらしい。
 それに比べれば広島県知事の方がよほど聞く人の心を打つ内容だった。

 情けないといえば、支持率も最低ラインの岸田首相を替えようという動きも起こらず、取って代わるという政治家も現れないことだ。いいか悪いかは別にして、一昔前ならとっくに岸田降ろしが起きていたはずだが、それすらない自民党の情けなさ。
 (8/14 岸田首相は次期総裁選に出馬しない意向を固めたとのニュースが流れた。恐らく20人の推薦人集めが難しくなり、出馬しても再選の見込みが薄いと判断したからだろう)

 では野党に政権交代を、となるべきところだが、野党もだらしがない。信念を持った政治家がほぼ見当たらない。
 だから安芸高田市長の任期を残して都知事選に立候補した石丸某に票が集まった。
 石丸氏の動きは宮崎県知事職を1期で投げ捨てた東国原氏とよく似ているだけでなく、彼が東京都知事選に立候補した時、私は嫌なニオイを感じた。
 身近な女性は彼を「いい男だし」などと評価していたが、多分に情報源はネットからで、それに影響されているようだった。

 私はヒトラー、トランプによく似た嫌な感じを受け、彼女にそう言った。
「ヒトラーやトランプとよく似ている」と。
 よく似ているのはヒトラーやトランプといった人物だけではなく、「強いリーダー」というより独裁者を熱狂的に迎え入れた時代と今が実によく似ている。
 人々は当初から「独裁者」の登場を待ち望んだわけではない。閉鎖的な状況を打破してくれる「強いリーダー」を待ち望んだのだが、「強いリーダー」が善人とは限らないし、それどころか権力を掌握すると往々にして独裁者に変わる例はいくらでもある。

 独裁者は最初から「独裁者の顔」をして登場してくるわけではない。最初は人々(中間層〜下層)の不満を代弁する「善人の顔」をして登場する。ヒトラーですらそうだった。だからドイツ国民は彼を支持したのだが、権力を掌握すると本性を現し、人々の不満の代弁者ではなく、逆に国民を自分の代弁者にしていった。

 その過程でヒトラーが多用したのは演説と選択である。演説はほぼアジテーションで、政策の中身や今後の国の在り方に触れるのではなく、聴衆の熱気をかき立て、煽るムード的なものが中心だ。
 この表層を真似たのがトランプ。相手を攻撃し、聴衆を煽る演説で、中身はほとんどない。
 石丸某の選挙演説も同じで、何をしたいのか、何をするのかといった政策や未来のことはほぼ語らない。ムードを煽るだけで、彼らに比べればヒトラーの演説の方がまだまともと言えるかもしれない。
                           (続く)


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