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「強いリーダー」を待ち望む国民が独裁者を生む。(2)
〜利器と武器


 独裁者が登場する時の時代背景には共通したものがある。経済的貧困の拡大、腐敗した政治等に対する人々の不満が渦巻き、国民が現状変革を望み、閉塞感を打破してくれる行動力のあるリーダーを待ち望む。
 それに応えるように既存の政治家やエスタブリッシュメント(既得権益者)を激しく批判し、選択を迫る人物が現れ、彼らの不満を代弁する声を挙げ、政敵を激しく攻撃し、現状に不満を抱く人々を惹き付け、彼らを煽り、不満の声を大きくして行く。

 演説はショーであり、一大イベントで、プロパガンダでさえなくなっている。ヒトラーはショーの演出にナチ党員の統一された行動とファッショナブルな制服の着用を使った。視覚に訴えたのだ。それに若者の一部は魅了された。あの制服を着たい、と思わせた。統制された行動は傍目にも美しく映る。右手を斜め上に挙げる行為は頭の横に手を持って来る敬礼より格好よく映り、自分達を既存勢力とは違うという認識を与えると同時に集団の結束力を高める。

 ヒトラーほど宣伝戦に長けた政治家(人物)はいない。トランプや石丸などはヒトラーの二番煎じ三番煎じで足元にも及ばない。第一彼らはヒトラーの宣伝戦を勉強したことすらないに違いない。
 表面だけを真似たのではすぐメッキが剥がれる。ましてやヒトラーの宣伝戦を勉強してもいないのではメッキ以前の話か。

 代わりに彼らが利用したのが「文明の利器(?)」のインターネットとツイッター(現X)などのSNS(ソーシャルネットワーキングサービス)。
 ヒトラーの時代の紙を、時空を超えてネット空間を自由に飛び回る文字通りの空中戦に変えたのは彼らの方が一歩上だったが、それはただ単に武器の進歩のお陰であり、時代も影響しているが、大衆を動員し誘導する術でははるかにヒトラーの方が勝っている。

利器と武器

 「文明の利器」は必ずしも手放しで喜べるものばかりではない。それは当初の期待とは反対の不利器になることがある。原子力がそうであり、有機フッ素化合物(中でもPFAS、PFOS)がそうなのを人類は最近になって知らされている。ともに自然界では分解されにくく消滅するまでに長い年月を要するからである。

 利器なのか武器なのか。それは利器でもあり武器でもあり、我々自身に向かって来る武器にもなる。扱いに慎重を要するモノだが、人は一度便利なものを手にすると使いたくなる。多くの人が使いだせば慎重さは加速度的に失われていく。

 例えばドローン。当初、爆弾を積んで敵を攻撃することを想定して作られただろうか。答えはノーだろう。だが、今戦地では有力な攻撃武器として使われている。
 スマートフォン(スマホ)やChatGPTなどの生成AIが世に出た時、人類絶滅の武器になると考えた者がどれぐらいいるだろうか。
 誰がそんなバカなことを考えるのか、と一笑に付されるかもしれないが、スマホが登場し普及するにつれ、子供の学力は確実に落ちているという統計実証結果があるし、ChatGPTはすでに一部で使われ始めているが、近い内にほとんどの企業、人がこの生成AIに文書作成を任せてくるだろう。

 その結果何が起こるのか。人々が自分の頭で考えることをしなくなるということだ。次にAIがなければチャットもリモートワークも会議の議事録、プレゼンテーション資料も作成できなくなる。
 早い話、人間は頭を使わない一昔前のロボットと同じ存在になり、賢いAIに使われていくしかない。
 頭を使わない生物に待っているのは滅亡しかない。

 その兆しはすでに随所に現れている。SNSで短い言葉のやり取りしかしない。政策はAI任せで、演説では名前の連呼か、相手を罵倒するだけ・・・。

 自分の頭で判断できないから方向を単純に示してくれる「強いリーダー」の出現を待つだけ。
 アメリカではトランプ大統領の頃から、日本では安倍政権の頃から着々と国民痴呆化が進められてきたが、今、世界はそれが潮流になってきたから恐ろしい。


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