社会を変える3つの狂気(2)
〜独裁者の狂気(2)


 権力は魔物である。一度でも、わずかでも手に入れれば、さらに、もっととなり、欲望は尽きることがなく、自制することが出来なくなる。しかも悪いことにというか、都合がいいことに、声高に聞こえてくるのは自分を称賛する声ばかりだ。これではまるで人々が自分の君臨を望んでいるかの如く勘違いする。
 故に法や制度を変えて在任期間を延ばそうとする企てには絶対に賛成してはいけないのだが、今世界はそうなっていない。

 狂気が独裁を生むのか、独裁が狂気を生むのか。今、世界で支配的になりつつあるのは独裁である。独裁と言っても一部の国を除いて武力でもって弾圧するハード独裁ではなく、非武力的なソフト独裁と、それを支持あるいは歓迎する独裁土壌の広がりである。
 これは言い換えれば民衆側の独裁を歓迎する狂気、熱狂的な支持で、それは何も独裁国家に限ることではなく民主主義国家でも起きるだけに危険だ。

 民主主義は極めて脆いものである。なぜ脆いのか。それを守り、維持していくには一人ひとりがかなりの労力、脳力を要するからだ。ともすれば人は誰かに決めてもらいたがる。特に国の進路や世界の有り様などの大きな問題に関しては。
 そんな大きなことは自分ではなく他の誰かが考え、決めてくれた方が楽だから。自分で一から考えるのは面倒臭いし大変だ。それより誰か、国のリーダーが道筋を決め、それに対し賛成、反対などを言う方がはるかに楽ではないか。当然、自分の責任も回避される。かといって言いなりになっているわけではない。いろんな情報を収集し、自分なりの意見を持ち、自分の考えに近いか同じ意見の人間を支持しているだけに過ぎないと思い込んでいる人が増えている。

 自分の頭で考えることを避けているわけで、デジタル時代になり世界中でその傾向が増えている。スマホがその傾向をさらに加速させているのは言うまでもない。なぜか。スマホの小さな画面で長い文章を読むのは苦痛だから、情報の発信側もスマホ用を意識し極力簡単な言い回し、二者択一的に書いていくから、ますます自分の脳を使わなくて済む。

 結果、人々の脳力は落ち、極端な意見に染まりやすくなっている。狂気に染まりやすい、狂気を受け入れる土壌がこうして出来上がっているが故に、文明が発展している国で独裁者が登場してくるし、それを待ち望むようになる。独裁者という言葉を「強いリーダー」という言葉に置き換えれば、もう少し身近に感じられるだろうか。

共食いする狂気

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