N の 憂 鬱-4
〜揺れる時期(2)


 当時も今も経済界の要望は理工系学生の増員。今は大卒から大学院卒へと経済界の要望が変わってきているが、当時は文系も含め大卒への要望が強くなり、国立大学が主として理工系学生を、私立大学が文系学生を増員して行った。
 日大はその典型で、マンモス授業と呼ばれたほど大人数を大講義室に詰め込み、先生はマイクを使って話さなければならなかった。そのような環境でまともな授業などできるはずもなく、学生は単位欲しさにマンモス授業を受けていると思われていた。
 その日大で授業料値上げがきっかけとは言え学生が立ち上がり、立て看を立て掛け、ビラを配り、デモをしたのだから、日大関係者は驚天動地、飼い犬に噛まれた気になったかもしれない。
 早大闘争はエリート大学の闘争で分からぬまでもないというか、身近には感じられなかったが、日大の学生が立ち上がったことは多くの学生が早大とは違った身近さを感じ、彼らに何かしらの影響を与えたのではないか。自分達はこのままでいいのかという思いを抱いた者は多かったと思う。

 それから47年も経ったというのに、日大の体質は何一つ変わっていなかった。変わったのは当時のように学生が立ち上がる気配さえないことだ。これは何も日大に限ることではなく、社会が内向きになり、誰も彼もが自分のことや金儲けにしか関心がなくなってしまっている。そのこともNを憂鬱にさせていた。

  ▽揺れる気持ち

 Nが大学に入った当時は60年安保闘争後のブント(共産同)解体を経て、革マル派、中核派、社青同解放派の三派全学連が結成された当時だったが、Nはそういう動きとは関係なく、「マッチ箱のような電車」に乗り「坊っちゃん」が入った湯に朝浸かり、それから授業に出るという平凡な学生生活を送っていた。

 Nの居場所は大体決まっていた。大学で授業を受けているか、大学の図書館か下宿の3箇所のどれかで、たまに授業帰りに街の本屋に寄るのが楽しみというぐらいであり、授業以外の時間は受験勉強に当てていた。大学に入りはしたものの、希望とは異なっていたし、やはり父か祖父が出た早稲田か大阪大学へ入りたいと考え、再受験に備えた受験勉強をしていたのだ。
 前期はほぼこんな形で過ごしたが、夏休みで帰省した時、父に怒鳴られるのを覚悟で計画を打ち明けると、その反応は拍子抜けするほど予期せぬものだった。
 「そうか、俺が入った大学に入りたいというお前の気持ちはうれしい。だけど来年、絶対に受かるならいいが、その保証はない。そうなった時にどうする。大学4年間の面倒は見るが、もう1年浪人させるだけの余裕は家にはないぞ」
 厳格な父の性格からして、再受験などと言おうものなら頭ごなしに怒鳴られ、場合によっては一発ぐらい殴られるかも知れないと覚悟していただけに、声を荒げるでもなく、穏やかな話しぶりの反応は意外すぎた。
 「大学の授業を受けながら受験勉強するのは大変だぞ。牛後より鶏頭という言葉もある。たしかに田舎の大学だけど、仮に早稲田や阪大に入れたとしても、そこで後ろの方で付いて行くよりは今の大学で頑張った方がいいんじゃないか。まあ、よく考えてみろ」
 父が言う通りだった。文系と違って理系は一般教養の1年次から授業が詰まっていた。二兎を追う者は一兎をも得ずに成りかねないとは薄々感じていたが、決定打になったのは入学前に使っていた化学の問題集が解けなかったことだった。これはさすがにショックで、前年より学力が落ちていることを意味し、再受験しても今在学している大学でさえ受かるかどうか分からないと考えると、さすがに再受験は諦めざるを得なかった。

 だが、それで完全に諦めたわけではなかった。何か他の方法はないかと色々調べ、編入学制度の存在を知った。大学3年になる時に他大学から編入学を受け入れる制度だが、その制度を導入している大学とそうでないところがあったが、阪大は編入学試験を実施していた。さらに調べていくと、編入学は大学入試と違って毎年実施しているわけではなく、その学科に欠員がある場合に限り実施され、欠員があるかどうか、言い換えればその年に編入学試験が実施されるかどうかは直前まで公表されないことも分かった。

 9月になり後期の学生生活が始まってしばらくは大した変化もなく過ごしていたが、冬になるとYが肺炎で入院したと聞き、病院に見舞いに行った。Yとは大阪の予備校で一緒だったが、その頃はただ顔を知っているという程度で話をしたこともなく、おっさんみたいな奴がおるなという感じで見ていたが、入学式の時に見かけ、Nの方から声をかけ、以来親しくなり、二人でよく街に出かけたりしたが、それはもう少し後のことだ。
 病気とは無縁なような顔をしたYが肺炎で入院したというのがなんとなく信じられなかったが、たしかに彼は病室のベッドに横たわっていた。ただ病人顔ではなく元気そうに見えたから、本当に肺炎だったのかどうか疑ったぐらいだが、それでも入院中に二度見舞いに行った。
 二度目の時、Nの顔を見るやいなや「お前な、この間何した」と意味ありげな言い方をしてきた。
「何の話や」
「いや、この前来てくれた時、看護師が三人おったやろ。そのうちの一人が、お前のこと色々聞くもんやから、『いい男やろ、紹介してやろか』と言うたらな『嫌よ、あんなプレイボーイ』って言ってたぞ。何かしたんか」
「どういうことや。話なんかしてないがな。帰ろうとした時、ベッドをここから運び出してたやろ。重いでしょうから手伝いましょう、と言って片方を持ってやっただけで、声もかけてないがな」
「本当にそれだけか」
「バカらしい。それでプレイボーイだって。話でもしたんなら分かるけど、どういうことや」
 看護師が三人でベッドを部屋から持ち出そうとしていたから、ちょうど帰ろうとしていたところだったし、女性三人では重いだろうと加担しただけで、そんなことを言われるのかと少々腹立たしかった。
「授業受けてるか、図書館にいるか、下宿か。この三箇所だけや。それなのにプレイボーイって言われるんか」
「仕方ないって。何もせんでもそう見られるんやからお前は。同じ言われるんやったら遊ばなそんやで、そう思えへんか」
「それは、そうやな」

 この一件があってからNは硬派一辺倒を脱し、軟派な側面を自分に少し加えることにした。
                                  (次回に続く)

 


(著作権法に基づき、一切の無断引用・転載を禁止します)

トップページに戻る Kurino's Novel INDEXに戻る







au PAY マーケット