N の 憂 鬱-9
〜学生生活を楽しむ(3)


 読書会は担当制で一、二章ずつを分けて担当し、発表担当者はテューターと呼ばれた。テューターの仕事は自分が担当する範囲の要点をまとめ、解説し、問題などを指摘した文書を作成し、当日全員に配布するわけだが、今と違いコピー機などなかったし、あっても大学の学部か学科に一台という時代で、コピー代も高く、授業以外の目的でコピーをするということ自体が考えられなかった。
 代わりに大活躍していたのがガリ版刷り。これは簡易孔版印刷で、和紙にパラフィンを塗ったロウ原紙をヤスリ板の上に載せ、鉄筆で文字を書いていく。書いていくとは言ったが正確に言えば、原紙に塗られたロウを鉄筆で削り取る。その際、ヤスリ板と鉄筆が擦れる音が「ガリガリ」と聞こえるので、ガリ版と呼ばれた。

 方眼用紙のマス目が敷かれた原紙に一文字一文字書いて(鉄筆で削り取って)いくのだが、力の入れ加減によっては薄い原紙がよく破れるし、鉛筆やボールペン書きとは違い、鉄筆を握る指に力も入るしで、慣れぬ内はガリ切りは大変だった。また文字の書き方にもコツがあり、行書体などのように丸みを帯びた文字は書きにくい。ヤスリ板の上から書くため、文字は四角い角張った字にした方が書きやすく、またロウ原紙も破れにくかったため、いきおいガリ切り文字は角張った似たような文字になる。

 原稿を書き終わると、その原紙を謄写版の上に載せ、ローラーに青インクを付けて転がすと鉄筆で削り取られた部分のみインクが紙に染みる。こうして一枚ずつ印刷していくわけで、100部印刷しようと思えば100回ローラーで擦らなければならない。単純作業だが、部数が多くなれば結構疲れるだけでなく、インクが手に付着して青くなるし、下手すればシャツに青インクが付いたりもする。しかも手に付いたインクは石鹸で洗ってもきれいに落ちない。だから手を見ればビラを作ったかどうかがすぐ分かった。
 学園闘争が盛んになった頃、私服警察が闘争に参加している人間を見分ける方法が手やシャツに付いた青インクの痕だったという。

 ガリ版印刷のいい点はコンパクトで持ち運びが可能な上、電源不要だからどこでも印刷できること。弱点はインクで手などが汚れる点。
 その後、この弱点を克服したのがリソグラフで、はがき印刷に特化した「プリントゴッコ」が大ブームになったのは、そう昔のことではない。やがてパソコンと年賀状ソフトの普及で今ではほとんど見かけなくなったが、まだ押入れの片隅や物置で眠ったままになっている家は案外多いのではないだろうか。

 ガリ切り、ガリ版刷りもテューターの仕事だったが、最初の内はまだ新入部員扱いをされていたNはそうしたことも知らずに参加していた。
 読書会も三回目になると先輩部員達とも少し打ち解けて話ができるようになっていたが、この時初めて顔を見せたのが教育学部三回生の西と経済専攻の五回生、山里だった。身長は173cmと高く、少し痩せ気味で、読書会の間もほとんど口を開かず、静かに座っているだけだったが、他の部員達から一目置かれているのはなんとなく感じられた。

 どこか他を寄せ付けないような雰囲気を発している部員が多い中で最も普通の学生っぽくて明るいのが中西と鎌本。共に法律専攻の三回生だが、中西は鎌本のことを「あいつは頭がいい」と言っていた。
 その鎌本がテューターをすることになったのが三回目の読書会だったからNは期待しながら参加したが、当日配られたレジュメを見て面食らった。
 そこに書かれている内容が理解できなかったということもあるが、それ以上に理解に苦しんだのはアントニオ・グラムシに触れた箇所で、テキストの「社会科学の方法」にはグラムシについて触れられた箇所はなかったからだ。少なくとも三回目の担当章には。

 さらに理解できなかったのは鎌本は自分で作成したレジュメにグラムシの名前と彼の言葉を表記しながら、発表の際には一切グラムシに触れなかったことだ。
 テキストに記載がないのにレジュメでわざわざ触れるということは、テキストの内容と大いに関係があるはず。あるいはテキストのどこかの箇所からグラムシの言葉か、彼の思想を連想したわけで、テューターは少なくとも連想に至った経緯か、自分の思考の軌跡を説明する必要がある。でなければレジュメにわざわざ明記する意味はない。
 にもかかわらず鎌本はまるで何も書かれていないかの如く、そのことに触れないまま発表を終え、また誰もそのことを指摘もせずに読書会が進められた。それだけではなかった。レジュメはまるで別の誰かが作成したかのように、鎌本の発表はレジュメの内容とは無縁と言ってよかった。
 発表とレジュメがリンクしなければレジュメを配布した意味がない。そもそもレジュメの作成自体が無意味で、何のためにこのレジュメを作成したのか、作成する意味があったのかどうかさえ疑わしい。

 「ちょっと待て。お前がここに書いていることはどう説明するんだ」と、なぜ、誰も言わないのか。
 Nは訳分からず、頭が混乱し、最も常識人ぽい中西の方に目を向けたが、彼はニコニコしながらNを見るだけで、Nの困惑には全く気付いていないようだった。余程手を挙げて質問しようかと思ったが、並み居る先輩達が誰も疑問に感じていないようなので、恐らく先輩達はそのことを理解しているに違いなく、自分の疑問はごく初歩的なことで、ここで質問すればまた「勉強不足だ」と怒られるかもと考え、未消化のまま無理やり飲み込んだ。

 未消化の塊を無理やり飲み込んだものだから胃の上部に留まったまま上にも下にも行かず、なんとも気持ちが悪い。いっそ口奥に指でも突っ込んで吐き出すか、消化薬を飲んで疑似消化させたかったが叶わず、胸焼けのような症状のまま、先輩達に混じって歩きながら、島に尋ねてみようかと考えた。
 島には一度怒られているし、その後下宿に付いて行き、読むべき本を教えられたりしたものだから、同じ怒られるにしても他の先輩に怒られるより少し楽な気がしたからだ。
 だが島の姿はなかった。さっきまで皆と一緒に歩いていたはずなのに。
「あれっ、島さんは? さっきまでいたと思ったのに」
「ああ、島か。気にしなくていい。いつものことだから。奴はよく途中で消えるんだ」
 朝田がそう答えた。朝田は社研の読書会に参加したいと伝えた時、部室で最初に会った、無精髭を生やした目付きの鋭い男だ。「浅田さんは六回生じゃなかったかな。五回生ではないと思うが、よく分からん」と中西から聞いたことがあるが、彼が社研を牛耳っているというかリーダーらしく、Nに対しては二年振りの新入部員ということもあり、顔に似合わずなにやかと優しく話しかけてくれるのだ。期待されたというより、Nが辞めると部員不足で社研という部の存続が危うくなるという危機感からだったのだろう。

 聞こうと思った島がいつの間にか消えていたので鎌本本人に尋ねることにしたが、鎌本は島のように真正面から向き合ってくれるタイプではなかった。仕方なく鎌本の下宿に「遊びに行く」ことにした。
 下宿は四畳半で島の部屋より広く日当たりもよかったが、島と違って本棚にはほとんど本がなかった。
 知識量は読書量に比例すると考えていただけに鎌本の本棚に本が少なかったのには少し驚いた。これでは島の時のように本から無言の教えを受けることができない。では、鎌本の知識の源泉はどこにあるのか。
 見回すと「平凡パンチ」が部屋の片隅に無雑作に置かれていた。まさか、こんな雑誌しか読んでないことはないだろうと思ったが、それらしき本は見当たらなかった。
 「寺山修司が面白いぞ」。鎌本が傍らの単行本を指差した。「書を捨てよ、町へ出よう」という題名が目に付いた。何だ、これ? 本の題名もさることながら、それ以上に表紙のイラストが人をバカにしているように思えた。「イラストレーション 横尾忠則」? 当時のNは寺山修司も横尾忠則も売出し中の人気作家とは知らなかった。
 へえー、鎌本はこんな本を読んでいるのだ。自分が知らない世界を知っている人間はほぼ無条件に尊敬するNは当初の目的を忘れ、寺山修司と横尾忠則だけで鎌本を尊敬した。
 寺山修司を読むことで鎌本に近付けるような気がし、以来、寺山の作品にはほぼ目を通した。
 こうして、島とは違う方法だったが、先輩達からそれぞれ違うものを学んでいった。
                                       (次回)に続く

 


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