N の 憂 鬱-10
〜夜明け前の街頭ビラ貼り(1)


Kurino's Novel-10                    
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Nの憂鬱〜夜明け前の街頭ビラ貼り
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▽三里塚で、人が変わった友

 大学を取り巻く環境が少しずつ動き始めていた。「三里塚」という言葉も耳にしだしたし、実際に「三里塚」に行ったという学生もいたが、まだNには関わりがない世界で、自治会の活動も「三里塚」も自分とは関係がない世界の動きであり、知識として知っているという程度の認識でしかなかったが、横野に「相談」を持ちかけられてから急に身近に感じられるようになった。

 横野は身長150cm台と背が低く、色白で文学青年と言った方がピッタリきた。木陰で樹に寄り添いながらシェクスピアか芥川龍之介の本を開いていれば、よほど絵になるのではないかと思うが、一回生の時に学生自治会に立候補し当選し、書記長になっていた。外観からは自治会活動などをするようには見えなかったが、活動に関心があったのだろう。
 そのことと関係があるかどうか、彼は「三里塚」に行き、帰ってきてから「変わった」という話を耳にした。「三里塚」で機動隊に警棒で殴られ、頭が少しおかしくなったと噂する者もいたが、真偽の程は分からない。

 「N君!」。学生食堂で昼食を済ませて外に出、傍らの掲示板を眺めていたNは突然自分を呼ぶ声に驚き、声がした方に首を捻ると、横野が立っていた。
「えっ、横野? 久し振りだな。最近、学内で顔を見ないと思っていたけど、どうしてた」
 久し振りに見た横野は以前とは別人のような顔をしていた。幼顔の坊っちゃんではなく、顎が張り、顔色は少し青白く、どこか荒れた生活を匂わせた。よく見ると唇や頬の辺りが赤く腫れてもいた。
「プロレタリアートの生活を体験するため、スナックで働いているんだ」
プロレタリアートとスナックで働くことが、どうイコールで結ばれるのか分からなかったが、少なくとも大学に来なかったこととスナックでバイトしていることの間に関係がありそうだとは想像できた。
「カネが少し都合できないか」
 Nは社研の先輩、中西や鎌本と互いに生活費の融通をし合い、三人で一つの財布を共有するような生活をしていた。互いに仕送りやカネが入る日が違っていたから、それまでの一週間程度を融通し合っていたのだ。といっても一万円程度の貸し借りだが。
 「カネの都合を」と横野から言われた時も、その程度の都合だと思っていたが桁が一つ違っていた。
「なぜ、そんなにカネがいるのだ」
「スナックで働いている女がいるんだが、ヤクザみたいな男に引っかかってて、彼女を救いたいんだ。彼女達こそプロレタリアートなんだ」
 横野がやたら発する「プロレタリアート」という言葉に違和感を覚えたが、彼がなにか退っ引きならない状況に追い込まれているらしいことは感じられ、できることならなんとかしてやりたいと思ったが、彼が望んだ金額はなんとかできる範囲を大きく超えていた。

 実のところ横野が何を考えていたのかよく分からない。「プロレタリアートの解放」と口にしていたが、それは単なる男と女の色恋沙汰に過ぎなかったのかもしれないし、学友達が噂していたように三里塚で機動隊に頭を殴られて頭がおかしくなったことと関係しているのかも知れない。「カネの都合」もNだけでなく他の学友達何人かにも当たり、たまたまNを見かけたからついでに声を掛けただけかもしれなかった。ただ、それ以降、彼の姿を見かけることはなくなった。学友の口の端に上ることもなく、彼らの記憶からも消えていった。
                                (2)に続く

 


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