▽終電が早い地方都市
この頃、NはYとよく遊びに行っていた。田舎出身のNと違い、Yは大阪、といっても河内長野だが、それでも梅田を「北」と言い、「北でよく遊んでいた」と言うだけで都会人のニオイがし、高校時代は異性と話をしたこともなく、大学入学後も教室と図書館、下宿の三箇所のどこかにいるという変化のない生活を送っているNから見れば、Yの話は自分が知らない世界のことだらけで面白かった。
「どうや、これから大通りに遊びに行かへんか」
「大通り」というのはこの街で唯一の繁華街の名称で、昼と夜の街が混在している文字通りの大通りで、そこへ遊びに出かけようと言うのだ。
「これからって、もう八時やないか」
遊ぶには遅すぎるだろう、と言おうとした。
「何言うてんね。八時からやで遊ぶのは。梅田では八時から出かけて十二時までやな。さすがに十二時過ぎると女の子も帰りよるからな」
それまで異性と話したこともないようなNには夜八時から遊ぶことが想像も出来なかった。
「いや、やめとくは。お前一人で行け」
「あのな、二人の方がいいねん。女の子もこちらが一人だったら警戒しよるけど、二人なら話に乗ってくるんや。いいよ、話しかけるのは俺の担当や。お前は一緒にいてくれたらいいわ」
知らない世界を覗き見る興味も手伝い、Yの誘いに乗って大通りに出かけてはみたものの、女の子どころか商店街を歩いている人がほとんどいなかった。さすがにこれではYも昔鳴らした腕も見せようがない。
「あかん。人がおれへん。今日は失敗や。明日、もう一遍来てみよう」
翌日は時間を少しだけ早めて出かけた甲斐があり、街には人がいた。通りを歩きながら若い二人連れの女性を見つけてはYが近づき声をかけるが、二言三言話したかと思うと引き返してくる。そんなことを二三度繰り返し「おかしいな」と呟く。
「どうも梅田と感覚が違うわ。なんでやねん・・・。そうか平日やからか。田舎やから平日は皆早う帰りよんねん。分かった。今度、土曜日に行こう」
声をかけても全く応じる気配さえ見せないことが余程腑に落ちなかったようだ。
土曜日の夜がやって来た。この日に備えてYは色々と考えていたようで
「あのな、いままで商店街の中やったろ。違うねん。一歩裏通りに入るんや。ダンス会場があるはずや。そこから出てきた子に声かけんねん。見ててみ」
今度こそは成功すると確信していたのか意気揚々と近付いて行った。しばらく言葉を交わしているところを見ると、「お茶飲みに行こう」という誘いは成功したようだ。
だが、頭を掻きながら引き換えしてきて「断られたわ。なんで、って聞いたら、家に帰らなあかんって。そんな、まだ八時半やでと言うたらな、この辺は最終電車が九時らしいんや。そら帰るわ。大阪の感覚でおったんが間違いやった」と、少しホッとしたような表情をした。
その日を境に二人で夜の街に出ることはなくなった。
▽社研の先輩達
入学以来Nは同期と連れ立って遊んだり、行動を共にしたことはほとんどなく、唯一の例外がYだった。いつも大抵二、三年上の先輩達と一緒に歩いていたから「先輩だとばかり思っていた」と同期生から打ち明けられたこともあった。
その頃は知識を吸収することに貪欲で、吸収できる相手としか付き合わないというある種の功利主義的な考えを持っていた。「風呂敷」の下宿先に押し掛け同然で共同生活を始めたのも、大学院と大学と目指すところは違っていたが共に受験勉強をするという意味では同じで、その環境が自分に役立つと考えたからだし、社研に入部したのも部員が三回生以上で、「N君のためにテキストをこの本に変えた」と、何も知らない新人に一応配慮したようなことを最初は口にしていたが、いざ読書会が始まると配慮などは最初からなかったように彼らのレベルで進められたことに対する反発心故だった。
だが反発心だけではどうにもならず、毎回、読書会後は復習と次回の予習をしなければ、とてもじゃないが彼らが交わす会話がチンプンカンで理解できなかった。
大学の講義ではなくサークルの勉強会なのに、正規の講義以上に予習・復習をして臨まなければ付いて行けないという主従逆転だったが、そのことに何の疑問も挟まずというか、初回の読書会で三回生の島から「君はそんなことも知らないのか。勉強不足だ」と言われたことに対する「クソッ」という反発心がバネになり、ひたすら予習、復習をし、次々に本を読んでいった。
昨今「褒められて伸びるタイプです」と自分で言う人間がいるが、Nは完全に逆で、反発心を力に変えるタイプだったから、厳しく一喝した島には感謝していた。もし、あの時、いきなりの厳しい一喝ではなく、「君は一回生だからムリはない。これから勉強するといいよ。大体、社研に来ただけで見所があるんだから」などとやさしく言われたりでもしていれば、それで気を緩め、本を漁るように読み、勉強することもなかっただろう。せいぜい読書会のテキストを読み、一時間余りの時間を適当に過ごして終わっていたに違いない。
(3)に続く
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