Kurino's Novel-9
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学生生活を楽しむ
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 当時の国立大は二回生の後期から専門課程に入り、それまでは一般教養課程で、この間が学生にとって一番楽な時期であり、また色々考える時期でもあった。
Nにしても一回生後期から二回生前期までの半年間は学生生活を普通に楽しんでいたが、それは変化の予兆を内に孕んでもいた。
▽銭湯代わりの温泉
新しい下宿先に引っ越すと「坊っちゃん温泉」が近くなり、銭湯に行く代わりに温泉に入るようになった。「坊っちゃん温泉」は温泉街の入り口に位置し、寺社建築などでよく目にする、頭部が丸みを帯び、左右になだらかにカーブを描いて両翼を下げていく形の唐破風(からはふ)屋根が入り口にある共同浴場だ。共同浴場でこのように凝った造りの建物は珍しい。
湯船の中も歴史を感じさせる凝った造りで、とても共同浴場に入っているという感じはしない。敷いて言えば早朝は地元のご老人で締められ、彼らの洗い方を見て驚いたぐらいだ。と言っても特別変わった洗い方をしているわけではなく、ツルッツルに光っている頭にシャンプーを付けて洗っていたわけでもない。タオルのようにタワシで洗っていたのだ。これには正直驚いた。
「おい、見てみろよ。タワシで頭を洗ってるぞ」
「わーっ、ほんまやな。頭だけとちゃうぞ。見てみい、身体もタワシで洗っとるわ、あのオッサン」
「スゴイな。まあ頭は分らんことないが、身体はムリや。傷だらけになるんと違うか」
タワシ洗いのせいかどうかは分からないが、その年寄りの身体は頭同様にツヤツヤで老人特有の皮膚のたるみがなかった。
こうして何度か銭湯代わりの温泉に行っている間にあることに気付いた。入浴券売り場で券を買わずに入っている人がいるのだ。こちらが入浴券を買っている横を素通りし、そのまま入り口に向かう。中には石鹸、タオルを入れた風呂桶を抱えている人もいる。どう見ても観光客ではなく地の人だ。地元の人間はタダで入れるのかと不思議に思い観察していると、外の券売り場で入浴券は買わないが、入り口で切符のようなものを渡している。
「おい、入浴券を買わずに入っている人が結構いるけど、あれはなんだ」とYに尋ねた。
「おう、お前もそれ感じたんか。俺も不思議やなと思って、聞いてみたんや。そしたらな、回数券があるんやて」
「回数券?」
「そうそう、大阪の地下鉄切符みたいなもんや。十回分まとめて買ったら一枚か二枚おまけになるいうやつやがな」
「そんなんが温泉にあるんか。今度、それ買うてみようよ」
「その代わり十回分まとめて先に買わなあかんのや」
「そうか。最初にちょっとカネがいるんか」
「そやねん。そこをどう考えるかやな。期限はないみたいやし、一日何枚使ってもいいらしい。今度買うてみたろうか」
「そうやな。取り敢えずお前、買うてみて。俺はカネがないから後にするわ」
不思議なもので回数券を買うと入浴頻度が増える。夜入ったのに翌朝も入ったりする。朝6時から営業しているから七時前に入っても一時限目の授業に間に合う。ましてや二時限目からの日などはゆっくり朝風呂ならぬ朝温泉に入れる。これは温泉近くに住んでいる人間の特権みたいなものだ。「朝寝、朝湯が大好きで」の小原庄助さんみたいな遊び人に見られはしないかと、多少後ろめたくもあるが、朝温泉に入れるのは温泉近くの住人に与えれた特権と割り切り、その特権を十分活用することにした。
だが午後八時頃に入ると湯船に垢がいっぱい浮いているのには参った。そんな垢だらけの湯でも普段メガネを掛けているYはメガネを外すと目に入らないらしく「いい湯やな」などと言いながら、垢が浮いている湯を顔に掛けたりしていたが、Nはとてもそんな気にはなれず、夜七時以降は温泉に行くのをやめた。
その内、温泉公園の横にも共同浴場があることを知った。銭湯ではなく「坊っちゃん温泉」と同じ温泉と教えられたが、温泉本館の荘厳な建物とは似ても似つかず、近代風といえば聞こえはいいが、あまりカネをかけていない造りの建物で、温泉に入っているという満足感は本館に及ばなかった。だからなのか入浴者も比較的少なく、その分湯はきれいだったので、Nはそちらの新館を利用するようになった。
回数券を買ってしばらく喜んでいたが、今度は入り口で入浴券を渡さず、何かを見せるだけで入っている人がいることに気づいた。
「おい、ちょっと見てみ。あれ、回数券と違うと思うけど何?」
「うん、あれな。俺も気になってたんや。なんやろうな」
それからしばらくしてYと会った時
「おうN。あれ、分かったぜ。定期券や」
「何の話?」
「自分、この間言うとった風呂に入る時見せてるやつ。あれ、定期券やて」
「定期券?」
「そや。回数券より高いけど、回数制限はないらしい。ただし一か月の間やけど、その間なら何回入ってもいいんやて。二十五回以上入ると得になるらしい」
「へえー、定期券があるんか。おもろいな。今度買ってみようよ」
以来、定期券を買い温泉に通ったが、入湯回数を考えると果たして得だったかどうか。
(2)に続く
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