N の 憂 鬱-5
〜遅れてきた文学青年(3)〜


  ◇大学に入り読んだ「坊っちゃん」

 高校時代はひたすらホームズやポアロなどの探偵物ばかりを読んでいたので、同年代が青春時代に読む本は全く読んでなかった。夏目漱石の「坊っちゃん」を読んだのは大学入学後だから、同年代の読書傾向からすれば2、3年は遅れている。それも「坊っちゃん」の舞台になった地方の大学に入ったから、せめて「坊っちゃん」ぐらいは読んでおかなきゃあという軽い気持ちというか、一種の義務感みたいな感覚だった。
 だが、これが面白かった。小説の内容が面白かったというわけではない。「マッチ箱のような電車」という漱石の形容が面白かった。明らかに地方をバカにしていた。乗り物だけではない、そこに住む人間も「田舎者」と漱石がバカにしているのがよく分かった。
 たしかに東京に比べれば小さな街で市電が「チンチン」と鳴らしながらのんびり走っていた。走った方が速いぐらいの速度だったし、車掌も町の人の話しぶりもゆったりしていた。

 「おいでる〜」と言う言葉もそうだ。ゆったりとした口調にのどかさを感じる。今はもう少し速い口調になっているかも知れないが、当時は実にゆったりとした口調だった。セコセコした感じは全くなく、東京人の漱石にはそうした喋り方も我慢ならなかったかもしれない。

 初めてこの言葉を耳にした人は一様に戸惑ったのではないだろうか。「こんにちは」というような挨拶と思ったかも知れない。たしかに、そう言われて「はーい」と家(うち)の人が返事しているところをみると、そうかもしれない。でも「おいでる」が「お出でる」なら、こちらに来て下さい、という意味だが、「こんにちは」というような単なる挨拶ではなさそうだ。というのも人が出会った時に掛けているわけではなく、訪問先の玄関付近で掛けているからだ。しかも語尾を上げている。ということは疑問形で、何かを尋ねていることにほかならない。では何を尋ねているのか。

 その言葉の意味が分かるまで半年近くかかったが「おいでる〜」という言葉を発する時の抑揚やゆっくりした喋り方はどこか雅さを感じさせ好きだった。
 「おいでる」は「居る」の丁寧語で、在宅か否かを尋ねる「おられますか」「いらっしゃいますか」と同義語である。
 そういえば「いらっしゃる」も「居る」と「いらっしゃい」(「来い」の丁寧語)で「おいでる」と同じ使い方をされている。
 チャキチャキの江戸っ子(東京っ子)だった漱石にしてみれば、抑揚があるゆったりとした口調からして嫌いで、田舎者とバカにしていたのではないか。もしそうだとすれば、地方の方言、イントネーションには京の雅語(みやびことば)が残っているということを知らなかったのか。そんなわけはないだろうが、漱石には地方をバカにした言動が実際に見られる。
 まあ、東京から遠く離れた地方に海を渡って来てみれば、そこには言葉のまったく通じない人間達がいて、わけの分からない言葉を喋り、理解できない行動をするのだから、早々にホームシックにかかり東京に帰りたくなったに違いないし、この地を離れる時にはどれほどか清々したに違いない。

 実のところNにしてからが、就職先が九州の某市と祖母に告げた時「海を渡ったそんな遠いところに行かなくても」と、これが今生の別れになるかのように涙ぐんだし、九州の女性と結婚すると告げた時には「なにも九州みたいな遠いところの相手と結婚しなくても、いくらでもこっちにいるじゃろうが」と、まるで異国の女性と結婚するようなイメージを抱いたほどだから、漱石の時代に東京から考える四国西部は実際の物理的距離の何倍も遠く感じられたに違いない。
 四国も九州も本州からすれば海を渡らなければ行けない場所であり、文字通り海の向こうの「海外」。列車に乗れば関門トンネルを通って一続きで行けたが、物理的距離と精神的距離はイコールではないだけでなく、中心から地方を見る距離感と、地方から中央を見る距離感には大きな開きがある。前者は実際の物理的距離より遠く、後者は逆に短く感じるもので、Nの祖母や「坊っちゃん」の「清」が「異国」同然のイメージを抱いたとしても不思議ではないし、漱石自身もそのような感じを抱いていたのではないだろうか。
                                              (5-4)に続く


テレビで話題!無料投資セミナー【投資の達人になる投資講座】  


(著作権法に基づき、一切の無断引用・転載を禁止します)

トップページに戻る Kurino's Novel INDEXに戻る



Dynabook Direct