N の 憂 鬱-5
〜遅れてきた文学青年(2)〜


  ◇コナン・ドイルと吉川英治

 高校時代のNは「真面目で大人しそうで、目立つタイプではなかった」。事件が起きる度に同級生を探し出しコメントを求めるメディアの前で語られるのがこの言葉だが、新聞の三面記事に載るようなことがあればNもそう言われるに違いないし、実際またそんな高校生だった。
 入学と同時に以前、父と同じ学校で教鞭をとっていた先生達から呼ばれ「君がN先生の息子か」と「面通し」をされた。以来、彼の高校生活はある種の監視の中で送ることになった。成績を落としてはいけない。遊んだり悪さをすることはもちろんできない。それを誰かから要求されたわけではないし、父もそうしたことは一切言わなかった。自分で自分に枠をはめたのだ。自縄自縛である。
 後に弟と話していて、弟の高校生活が羨ましかった。
「お前はいいな。次男で気楽で好きなことができて」
「兄貴も好きにすればよかったんだよ」
「俺が入った時は親父の前の職場で一緒だった先生が何人もおり、N先生の息子と見られているのに遊んだりできないだろう。お前の時はそういう先生達も転勤して残っていたのは一人ぐらいだし、俺が露払いをしているから、お前の時はそういう目で見られなかったのだろう。どっちにしてもうらやましいよ」

 可もなく不可もなくのような高校生活を送りながら図書室にはよく出入りしていた。といっても勉強するためではなく図書を借りるためで、その頃夢中になって読んだ本といえばコナン・ドイルやアガサ・クリスティーなどの探偵物、推理小説ばかりだった。
 そんなある日、いつものように図書室で次に借りる本を物色している時、同じクラスの友達2人が話している声が耳に入った。会話の内容はよく分からなかったが「社会主義が」とか「ソ連は」という単語は聞き取れ、なにかスゴイ内容を話しているようだと驚き、急に同級生2人が随分大人びて見えた。
 だが、その日以後もNが読む本は変わらず、相変わらず探偵物を読み続けていたから、図書室にあるコナン・ドイルやアガサクリスティーなどの本はほぼ読んでしまった。

 図書室から借りる本がなくなると、父の本棚から拝借して吉川英治の「新・平家物語」や「宮本武蔵」を夏休みの間、夢中になって読んだが、「宮本武蔵」より「新・平家物語」の方が面白かった。
 吉川英治の「宮本武蔵」は読み物としては面白かったが、読んでいる時も読み終わってからも違和感を拭い得なかった。どこか違う。当初はそんな思いだったが、この違和感は後になればなるほど強くなっていった。そこから少しずつ武蔵に関する資料を集め始めた。
 ただ吉川英治が書いた「宮本武蔵」は小説だけでなく、その後何度も映画化、TVドラマ化され、ともに大ヒットしたから、映像化されればされるほど人々は吉川英治によって描かれた「吉川武蔵」を宮本武蔵の実像と思い込んでいく。
 今でも「お通」は実在した女性だと思っている人がほとんどで、あれは吉川英治の創作で実在しない。モデルになった女性もいないと言ってもほ とんど信じてもらえない。
 武蔵の肖像画を見ればおよそ女性にモテる顔でないことは一目瞭然のはずだが、映画では中村錦之助などの美男子が武蔵役を演じるものだから、武蔵に思いを寄せる女性がいるのは当然と、現実と映像の世界を同一視してしまうのだろう。
 現実とフィクションの世界の混同視は今でも行われているばかりか、ある部分でより混同視する傾向が強くなってさえいる。かつては宗教がその役を引き受けていたが、今はコンピューターを介し、両者の境がどんどん曖昧化し、現実世界と非現実世界が混同視されていく傾向にあり、そのことが様々な問題を引き起こしてもいる。

 ともあれ、吉川英治はそれほどスゴイ作家であり、ヒットメーカーだったと言えるわけだが、同じように「吉川武蔵」に違和感を感じた作家もいた。岡山県出身の柴田錬三郎もその一人かもしれない。彼は「眠狂四郎シリーズ」で有名だが、晩年になって「決闘者 宮本武蔵」を書いているが、「剣豪作家」と称され、また自らもそう名乗った時期もあるだけに柴錬が描く武蔵も吉川武蔵の範疇を超えて武蔵の実像に迫るものではなかっただけに、やはり違和感を拭い去ることはできなかった。
 小骨が喉に刺さったような違和感がずっと付きまとい、そのことが後になって彼に「転換期を生きた宮本武蔵」を書かせることになるが、当時の彼にはそんな素振りも気配もなかった。
                                              (5-3)に続く

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