N の 憂 鬱-27
〜足し算から引き算、そして足し算の生活(4)
拘置所で雑煮を食べる(1)


▽拘置所で雑煮を食べる

 チュン、チュン、チュン、チュン−−。
 昔聞き慣れた鳥の鳴き声に驚き声の方に振り向いた。あれは雀? こんなところに? 
 雀の鳴き声を聞いたのは久し振りだった。昔はよく耳にしていたし、キャンパスでも聞いていたはずだが、勝手に耳に入ってくるという感じで鳴き声に耳を傾けたことがなかったから、ある種の驚きと新鮮さにNは外を見た。
 といっても見えるのは空だけで、外の景色は窓の外側に備え付けられた、上方だけが少し外側に開いた板囲いで遮られ見ることはできない。
 鉄格子がはめられた窓にはガラスの代わりに透明のアクリル板が張られ、見える景色は微妙に歪んでいる。
 板囲いの上端に1羽の雀が広い外界ではなくNがいる房の方を向いて止まり、チュン、チュンと2、3度囀ってはやみ、しばらくするとまたチュン、チュンと囀る。「おはよう、外は陽射しがあるから、室内より暖かいから出ておいでよ」と話しかけているようだ。

 12月の朝9時の陽射しは軟らかくまだ寒気を一杯含み、暖房がない房内に容赦なく入り込んで来る。だが10時頃になると陽射しに少し力強さが加わり、寒々しく冷え切った房内の空気に明るさとやわらかさを届けてくれる。
 入って来る陽の光が長くなったーー。そのことで季節が冬に変わったこと、ここに入ってからの日数を感じ、思わず日にちを数える。

 もう35日か。「クリスマス前には保釈されるだろう」と言う弁護士の言葉に、もう何日と足し算で数えていた日数を、今度はクリスマスまで後何日と引き算で数え直し、その日が来るのを心待ちにしたが、イブが過ぎ、クリスマスが来ても何も変化は起こらなかった。
 「年末には保釈されるよ。君らは学生だし、盗人や殺人犯罪とは違うから、いくら何でも正月前には出られる。そこまで裁判官も非情ではない。再度、保釈申請をするから、もう少し待って欲しい」
 年内の保釈は間違いない。そう断言する弁護士の言葉は力強く感じられた。

 長期勾留される理由が理解できなかった。「暴力行為」と言うが誰かを傷付けたわけでも傷付けられたという訴えもないはずで、一般的な犯罪とは意味が根本的に違う。
 「住所不定で逃亡の恐れ」があるというのが裁判官が保釈を認めない理由だが検察の主張とまったく同一で、検察の言い分を全面的に認め、司法の独立など微塵もありはしない。住所不定と言うが、住所は下宿先と定まっているし、学生が反対の声を上げたのは国の大学自治への干渉と、大学を国の管理下に置く大学立法への反対であり、「学園闘争」と言われたように学園を離れては存在しえない闘争でもある故、学園から「逃走」する恐れなどない。

 にもかかわらず裁判所は検察と一体になって抑え込み、旧来の枠で裁こうとする。
 彼らが裁いているのは思想にほかならない。権力者に楯突くものを徹底的に取り締まり、逮捕し、牢獄に放り込み、長期拘束で自由を奪う独裁政権のやり方とまったく変わりないことが民主主義国家、法治国家を標榜する国で、司法が政権に与し二人三脚で行っている非合理さ。
 N達は時の権力だけでなく、司法とも闘わなければならなかった。

 クリスマスには午後、ちょっとした菓子が出された。どうやらクリスマスケーキの替わりらしい。拘置所でもクリスマスを祝うのだ、と驚いた。
 28日は御用納めのはずだが朝から何も動きはなく、昼食が終わった後もいつもと同じで変化は感じられなかった。それでも夕方には、と廊下を歩く足音が房の前で止まり扉が開くことを期待していたが、扉は重く閉じられたまま開くことはなく、夕食の膳が配られ、やがて就寝の時間になった。

 御用納めが終われば公務員は年末年始の休暇に入る。これで年内保釈の可能性はなくなった。そう思いつつ、それでも年末ギリギリに保釈されるかもしれないと、あと数日に微かな希望を繋いで待った。

 晦日が過ぎ、大晦日がやって来ても扉が開くことはなかった。夕食が出されるとさすがに年内保釈はなくなったことを覚悟せざるを得ない。その夜は早々と布団の中に入り、房内のスピーカーから流れて来るラジオの紅白歌合戦を聞くともなく聞いていたが、除夜の鐘が聞こえる前にはすでに深い眠りに落ちていた。
 どんな環境下でも睡魔が勝るようで、羊の数を数えたことはなく横になると秒殺で深い眠りに落ちるのがNの特徴で、寝付けずに多少グズグズしているような時でもものの10分と経たずに眠りに落ちている。
                                  (2)に続く


 


(著作権法に基づき、一切の無断引用・転載を禁止します)

トップページに戻る Kurino's Novel INDEXに戻る