N の 憂 鬱-26
〜足し算から引き算、そして足し算の生活(3)
勾留理由開示請求


▽勾留理由開示請求

 接見室に入ると仕切りの向こうに男が1人椅子に座っているのが目に入った。
「高畑です。変わりはありませんか」
 男はそう名乗り、頬を緩めた。以前一度会ったことがある柳井市の高畑弁護士である。前回あったのは留置場に入れられている時で、拘置所に移ってからは初めての接見だ。
(変わりはありませんかだって。毎日、毎日同じ生活をしているんだ。変りなどあるわけないじゃないか。逆に変化が欲しいぐらいだよ)
 弁護士の言葉に頭ではそう反応しながらも、いつもと違う顔を見られたことが嬉しかった
「今度、勾留理由開示請求をしようと思っています。ただ一人ひとりではなく事件ごとにまとめて行いますが」

 勾留理由開示請求とは裁判所に対し被疑者をなぜ勾留しているのか、その理由を明らかにするよう要求する手続きのことだ。
 憲法第34条には次のように定められている。
「何人も、理由を直ちに告げられ、且つ、直ちに弁護人に依頼する権利を与へられなければ、抑留又は拘禁されない。又、何人も、正当な理由がなければ、拘禁されず、要求があれば、その理由は、直ちに本人及びその弁護人の出席する公開の法廷で示されなければならない」

 また刑事訴訟法第82条に「勾留されている被告人は、裁判所に勾留の理由の開示を請求することができる」と定められている。

 憲法に「何人も・・・正当な理由がなければ、拘禁されず」と定められていても、それがその通りに実行されることはないのは数多く実証されているし、警察・検察と裁判所はほぼ一体で、裁判官が検察官と異なる見解を示すことはあまりない。そのことは検察による起訴有罪率が異常に高いことにも表れている。
 起訴後の有罪率99.9%というのはいかなる理由付けをしようとも異常だと感じるはずで、これを異常だと思わない方が異常だろう。
 それは独裁国家並みであるにもかかわらず、他国に関しては「独裁国家だから」と中国その他の司法を批判しながら、自国の司法の異常さは受け入れ、あるいは無関心を貫き、さほど問題視しないのが、日本という国の民の異常さだ。

 例えば斎藤元彦兵庫県知事の「おねだり」、パワハラ。県議会議員全員から辞職要求を突き付けられても「県民の負託を受けているから」と辞職を拒否する態度。それなら兵庫県民はリコール署名でもすればいいと思うが、そういう動きを見せない県民。まるで後進国並みではないかと思ってしまうが、この国の民は弱者にはちょっとしたことでも強く非難する態度に出るが、大きな権力に対しては批判どころか従順になってしまう。独裁者と言わないまでも強権力を駆使する人物が出現した時のことを考えると恐ろしい。

 勾留理由開示請求は弁護士が裁判所に書面で提出し、後日、法廷が開かれ、被疑者も出席し、裁判官が勾留の理由を述べるが、具体的な理由を明らかにすることはなく「住所不定で証拠隠滅、逃亡の恐れがある」などと述べられることがほとんどであり、弁護人は「下宿先等住所は決まっているし、学生であり逃亡の恐れはない」と述べ、勾留の取り消しを求めるものの、その場で裁判官がそれに反応することはなく閉廷を告げられるのが一般的であり、N達の勾留理由開示請求裁判もその通りの流れで行われた。

 これはいうなら一種の儀式みたいなもので、弁護士自身、この場で勾留が解かれることはまずないと分かっているが、開示請求をした勾留者が全員出席するから、それまで明確でなかった仲間の顔を確認することができる。
 えっ、あいつも逮捕・勾留されていたのかとか、誰々は逮捕されてなかったのか、釈放されていたのかと仲間の消息を知る場にもなった。

 勾留者自身がその場で意見を述べることも許されるが具体的に指摘し意見を述べることはなく逮捕、裁判の不当をなじり「ナンセンス」と声を張り上げるぐらいだから「裁判闘争」と言ってもきちんと逮捕・勾留の不当性、裁判の不公正さを訴えるわけではなく、「思想裁判」の不当性を学生は主張するだけだから噛み合うはずもない。
 特に地方においては裁判官は旧体制にしっかり染まっているし、学生の主張や当時の社会世相を理解しようなどという考えは微塵もないから裁判所で声を挙げる被疑者・被告は法の統治を乱すアウトロー、不埒者という認識しかない。
 当然それはそのまま判断に影響を与え「住所不定、証拠隠滅の恐れ」という検察官の主張に沿った判断がそのまま採用され勾留解除がされることはない。

 勾留理由開示請求にまったく期待がなかったといえば嘘になる。最初からゼロと分かっているなら別だが、100に1つでも可能性があるかもしれないと思えば、そのわずかな可能性にも縋りたくなるのが人間で、もしかするとと微かな希望を感じたりもしたが結果は予想通りで待っていたのはいつもの日常だった。

 Nは再び数を数え始めていた。
(逮捕されて〇〇日、拘置所へ移されてから今日で○○日か)と。
 いくつまで数えればいいのか。終わりはあるのか。いつか終わりは来るに違いないし、きっと来る。だが、それはいつなのか。
 拘置所に移されて初めて弁護士が接見に来た時、「勾留理由開示請求をする。学生だし、それが済めば釈放されるだろう」。そう言っていたがそれはとんだ見込み違いで、釈放どころか「住所不定で逃亡の恐れがある」という訳の分からん理由で交流はむしろ正当化、さらなる延長が認められてしまった。
 検察、裁判所が一体となった明らかな嫌がらせである。これが法治国家のすることか。司法の独立なんてお題目にしか過ぎず、どこにも存在しない。そのことを思い知らされた。
                                  (3)に続く
 


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