Kurino's Novel-20
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Nの憂鬱〜足し算から引き算、そして足し算の生活(3)
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▽アルミ食器の皿と宗教、神
12月の朝は寒い−−。先程から目は覚めていたが布団を顔が半分隠れるまで引き上げ、横向きになって身体を縮こませ、吐く息で少しでも布団の中を温めようとしていた。
そうしてグズグズしている内に起床を促す放送が頭上のスピーカーから流れ、急に拘置所内が騒めき随所から様々な音が聞こえてくる。
Nも跳ね起きた。ここからは時間との競争だ。布団をあげ、四隅をきれいに揃えて畳み隅に重ね、箒で室内を掃除。その後歯磨き、洗面を素早く済ませ、入口の扉の方を向いて正座して朝の点呼を待つ。
ガチャ、ガチャという音が聞こえ、鍵を差し込み扉が開けられ「番号」「1105番」と毎朝繰り返されるルーティンが寸分違わぬ正確さで行われる。
それが終わると朝食が配られる。初めて拘置所の飯を食べた時は留置場の飯の方が美味いと感じたが、慣れとは恐ろしいもので麦飯を押し潰したようなベチャとした飯もこの頃は最初の頃ほど不味いと思わなくなっていた。
食べることと寝ることが楽しみ、とはよく言ったもので、他に楽しみというか、することがないとこの2つ以外に楽しみがなくなってくる。
それは多分に今日も昨日も一昨日も何も変わらず判で押したように繰り返される強制的なルーティンの中で唯一自分で決定できる行動がこの2つだけだからだ。
それでも人間はどんな環境にいても、そこで密かな楽しみを見出すものらしく、この頃Nは食事が終わった後、アルミ食器の皿を裏返すと自分の顔が映ることを発見し一人喜んだ。
それは意図して行った結果ではなく偶然皿を引っくり返した時何かが映り、これは何だと興味を持ち眺めたが、そこに映ったのが自分の顔だと分かるまでにしばらく時間がかかった。
逮捕されてから1か月以上鏡を見たことがないし、それまでも闘争に明け暮れていた毎日で、自分の顔をじっくり鏡で見たこともなかったから、アルミ食器の裏に映ったものを見て、えー、これが俺の顔なのかと思った程度だったが、それでも小さな発見が嬉しかった。
普通に生活していれば皿の裏を引っくり返して眺めることは、学校の給食で食べ終わった後に悪戯心が湧き、目の前にある空になった食器を手に取りいじくり回す子供ぐらいで、大人になってそんな行動をしたことはなかったが、なぜかこの時は食事が早く終わったからか、それとも変化のない毎日にちょっと違ったことをしてみたいという意識下の意識が働いたのか、あるいはアルミ食器が珍しかったからか、無雑作に皿を取り裏を眺めたことで今までとは違う景色をそこに見た。
それは取るに足らない小さな発見だったが、毎日同じ景色しか目に入らない生活の中ではちょっとした喜びだった。
顔が映ったといっても現在の鏡とは比べ物にならず、ピンホールカメラで映した映像のような輪郭が鮮明でなく少しぼやけた顔だったが、そんなものにでも映るのだと気づいたことが大発見であるかのように一人喜んだ。
銅板の表面を磨くと見ている者の顔が映ることを発見した古代人も同じ喜びを感じたのではないか。それ以上に少しぼやけた映像が逆に神秘的な感じを与えたかもしれない。
鏡の向こうにもう一つの世界がある。そこに向かって祈り、解決策を願えば神がかりな巫女が現れ、お告げ、託宣が下される。それは鏡を見ている自分自身の姿、心の声だとも知らず。
ここに宗教が生まれる。人は自分の姿に似せて神を創る。だから日本人の神は日本人の姿をしているし、キリスト教の神は黒人ではなく白人の姿をしている。それぞれの民族がそれぞれに似せて神を創ったが、人間の心の投影である、鏡の向こうの神によって現実世界が規制され、規範が作られ、時には神の名の下に、それは多分に自己責任から逃れる理由付けに使われるのだが、他国や他者に攻め入り相手を滅ぼそうとする。
最初は人間が神を創り、次にその神が人間を作り、異教徒を攻撃し、自らの王国を創ろうとする。
宗教とは、神とはなんとも便利なものだ。そして危険なものでもある。
アルミ皿に映った自分の顔を見ながらそんなことを考えていると、ガチャガチャと音がして扉が突然開かれた。
「1105番、出なさい。弁護士さんの接見だ」
(2)に続く
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