N の 憂 鬱-25
〜足し算から引き算、そして足し算の生活
―日記を没収される(2)


 人間、何もすることがない程苦痛なことはない。せめて労働でもすればまだ時間が過ごせ、気も紛らせるが、刑務所と違って拘置所では労働は課せられないし独居房では話す相手もいない。達磨にもなれず1日中黙ったままじっと座っているのは苦痛極まりない。せめて本でもあれば気が紛れるだけでなく勉強できる。
 房内に持ち込める本は3冊までという決まりになっているため取り敢えず「毛沢東選集」を3巻を差し入れてくれるように手紙に書いて頼んだ。

 本が手元に来るまで刑務所内売店で買ったノートに拘置所内の日々のことを書き記した。いつ外に出られるか分からないが、すでに2週間近くも拘留されているから、近い内に釈放されるだろうが、その間に少しでも拘置所内の生活を書き記しておきたいと考えたのだ。
 一般受刑者のことは分からないが、政治的活動で収容された者は大体同じようなことを考えるみたいで、実際に獄中記として世に出たものはそこそこあった。日大全共闘議長の秋田明大も「獄中記 異常の日常化の中で」を1969年にウニタ書舗から出版している。
 秋田が公務執行妨害等で逮捕されたのは1969年3月12日で保釈は同年12月26日だから、拘留中から執筆し、出版する話があったのだろう。でなければ同年に出版するのは不可能だ。

 ノートに「日記」を書き始めて2日後、突然扉が開き付いて来るようにと指示された。例によって理由も説明も一切なしだ。
 薄暗い廊下を抜けると周囲が少しだけ明るくなったが、高い天井のせいで照明が隅々まで照らすには弱く、全体的に暗く陰気な感じがするのは拭い得なかった。
「1105番を連れてきました」
 突き当りの部屋の前で、看守が姿勢を正して敬礼し、中に居ると思しき相手に向かって声を張り上げる。
「入れ」
 中から入室を許可する声が聞こえる。
 さほど広くない部屋に木製の机が2つ置かれ、その1つの前に腰掛けていた男がNの顔を無表情に眺め、口を開いた。
「ノートに日記を書いているみたいだが、拘置所内のことを書いてはいけない。ノートは没収する」

(なんだって、ノートは買ったばかりじゃないか。それが没収されるのか)
 腹立たしかったが、事前に決まりを伝えるのではなく、こちらの動きを見て後から「ノー」というやり方の方に腹が立った。

 ちょっと待てよ。なぜ日記を付けていることが分かったのだ。
房内に入ってノートをめくってみないと分からないはず。
それなのに知っているということは中に入って来ているということか。
いつ入って来たのだ。
 居る時にチェックされたことはないから、房内に居ない時だが、それはいつだ。
そうか、入浴時か運動の時か。
 風呂にはまだ一度しか入っていないし、ノートを買ったのはそれより後だから、入浴時ということはない。
 とすると運動で外に出ている時か。

 留守中に房内に入り込んで布団を裏返し、持ち物の中までをチェックする不気味さ。もしかするとオマルの中まで覗かれているかも分からないと思うとゾッとする。24時間監視という名の覗き。それが許される場所があるというのが恐ろしい。
 ここではプライバシーなんてクソ食らえで、そんな意識は彼らにないし、ここの辞書にはプライバシーという言葉自身が載ってない。
 さすがに今は刑務所の中といえどもプライバシーが多少保護されるようになってきたが、当時はそんな意識はこれっぽちもなく、刑務所の門をくぐった瞬間から犯罪者、「囚人」であり、「囚人」は人間ではないから人間扱いする必要はない、という考えでずっと来ている。
 何度か触れたように明治時代に作られた時代遅れの監獄法がここでの法律であり規範であり、彼らはそれにずっと従って来ている。しかも東京と地方では運用がまるで違うだけでなく、所内で起きたことは外に漏れる心配はほとんどない。だから内部では陰湿ないじめや懲罰が当たり前のように行われる。これは学校など閉鎖社会に共通して言えることだ。
                             (次回)に続く
 


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