N の 憂 鬱-25
〜足し算から引き算、そして足し算の生活
ーケザワヒガシ


▽ケザワヒガシ

 そんなことがあった2日後の午後、他にすることもなく午前中に読んだ日本経済新聞を読み直していた。

 日経新聞は近年、一般紙と同等に見られているが元は経済専門紙として発行された新聞であり、朝日・毎日・読売新聞のように幅広い内容を扱うわけではなく株価や経済、産業関係の記事中心。そうしたこともあり一般紙からは格下に見られる嫌いがあった。
 それなのになぜ日経新聞がビジネス関係者を中心によく読まれるようになり、部数を伸ばしていったのかといえば、社会が経済中心に動き出したことと、「専門記者」がいないことが大きく関係している。
 新聞記者は専門職にある意味似たところがあり、政治担当とかサツ回り、文芸担当等々配属先で先輩から厳しく鍛えられる。これは一般社会でも同じだが、1つの分野を長く担当していれば、その分野のことに詳しくなる。いわゆる「専門家」になる。対して日経記者は1分野の担当期間が短く、いろんな分野に回される。そのため新たに担当した分野のことは詳しく知らない。

 これは実際に私が直接耳にした話だが「日経(流通新聞)の記者は素人だから、こちらが色々教えてやらないといけない」と某商店街の理事長が苦笑いしていた。
 もう30数年前の話だから、この頃は違うかもしれないが、詳しく知らないから取材相手に「教えてください」となる。すると「ほんなこつ知らんとや。教えてやるったい」。博多弁で、こう言われる。
 人間誰でも教えられるより教える方が気持ちいい。優越感にも浸れる。だからついつい喋る。「専門職」の記者なら記事にするほどの内容でないと聞き飛ばす書かない話でも記事にする。載せられた方は当然喜ぶ。定期購読や広告出稿を頼まれれば掲載されたお礼も含めOKする。

 かつて某紙が取ったやり方と同じだ。「Yは隣の猫が犬に噛まれた話でも載せる」。そう言ってライバル紙は冷笑していたが、気が付いたら発行部数で抜かれていた。
 まだポピュリズムという言葉が口の端にも上らなかった時代だが、ポピュリズムを先取りしていたと言える。そして今、政治も経済もニュースもポピュリズムが世界を動かしている危険な時代だが、そのことを危険と思ってない人々が増えていることの方が危険だろう。

 昼食後のひと時、他にすることもなく午前中に目を通した日経新聞を再度読み返していると、突然扉が開いた。目の前に立っていたのはグレーの上下を着た雑役係で、しゃがみながら「”ケザワヒガシ”の本が届いたよ」と笑顔を見せた。
 ケザワヒガシ?
 意味が分からなかった。
 初めて聞く単語だし「ケザワヒガシ」という題名や著者の本を頼んだ覚えもない。
 怪訝な顔をしているNの前に彼はにこやかな顔をして赤い表紙の「毛沢東選集」を差し出した。
 あっ、毛沢東のことを「ケザワヒガシ」と言ったのかと納得。当初、冗談で毛沢東のことを「ケザワヒガシ」と言っているのだと思っていた。
 だが、そうではなかった。彼はこれを「もうたくとう」と読むことを知らなかったのだ。
 ただ「ケザワヒガシ」と言った時、彼はほんの少し誇らし気だった。もしかすると読み方を知らなかっただけで毛沢東や文化大革命のことは新聞等で読み少しは知っているのかもしれない。
 俺は彼のことぐらい知っているんだ。そんな風にちょっと自慢した気な顔だった。

 毛沢東という文字を見て我々は「もうたくとう」と当たり前のように読んでいるが、中国語なら「マオ ツォートン」であり、日本語を習いたての外国人なら「毛沢」が姓で「東」が名と見るかもしれない。日本人の名前だとすれば、そう見る方が自然だろう。とすれば彼が「ケザワ ヒガシ」と読んだのは当然かもしれない。
 彼のほんの少し誇らしげな顔を見ると、いや、これは「ケザワヒガシ」ではなく「もうたくとう」と読むんだよ、と訂正するのはやめた。
 彼がどんな罪を犯して刑務所に入っているのか、刑期は何年で、すでに何年ここで過ごしているのか知らないが、拘置所の雑役係(?)をしているということは生活態度がいい模範囚で、刑期満了前の仮釈放の日はそう遠くないだろう。
 そんな彼にお前の知識は間違っていると訂正し、彼を傷つける必要はないし、看守が側に立っており言葉を交わすこともできない。
                                          (次回)へ続く


(著作権法に基づき、一切の無断引用・転載を禁止します)

トップページに戻る Kurino's NovelINDEXに戻る