N の 憂 鬱-25
〜足し算から引き算、そして足し算の生活
―日記を没収される(1)


Kurino's Novel-25                    
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Nの憂鬱〜足し算から引き算、そして足し算の生活
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▽日記を没収される

 注文していたノートに便箋、封筒、ボールペンが届いたので、早速、多嘉山日向子宛に手紙を書いた。
 多嘉山は同じ大学の学生で地理専攻だったため講義で一緒になることはなかったが、2年前、友達の下宿先に出入りしていて、同じ下宿屋に彼女も部屋を借りていたことから自然に言葉を交わすようになっていた。

 当時の下宿屋は男性のみとか女性のみというように性別に分けて貸すというよりは分け隔てなく貸すところが多かった。それは学生に限ることではなく、学生であれ社会人であれ借りたい者がいれば貸すという具合いで、今では考えられないだろうが男女が同じ下宿屋で生活していても犯罪など起きたこともないし、そういうことは考えられもしないという平穏な時代だった。

 最初の頃は友達の下宿で見かけると挨拶を交わす程度で特に意識することもなかったが、距離が近付いたのは学内の集会やベトナム戦争反対の街頭カンパ活動の場などで目にするようになり出してからだった。
 特に目立ったわけでもなく、どちらかというと控え目な感じだったが、眉は濃く、はっきりした顔立ちで、高知出身と聞けばなる程と納得させもした。内に芯の強さを秘め、男を救け大海に漕ぎ出す土佐の女と言うのは言い過ぎにしても、健康的な肌色も見るものにそんな感じを抱かせた。
 黙って男に付いて来るという感じではなく、時にはっきり発言する女性だったが、Nが学内で社学同ML派の旗を掲げると、そうするのが当然であるかの如く多嘉山も参加した。
 それはML派の主義主張や指導理念とした毛沢東思想に傾倒してということでなく、Nに付き従ったというだけだったが、Nが逮捕されてからは彼女が外部との仲介役になり、拘置所の接見や差し入れに訪れるなどしてNを支えてくれた。

 最初に手紙を書いた相手が多嘉山日向子だったのは「膝小僧が寒」かったからでも、彼女の肌が恋しかったからでもない。後に思い出しても肌を合わせた記憶はほとんどない。果たしてそんな時間を共有したのかどうかさえあやふやだったし、集会やデモに明け暮れている日々の中、2人だけで過ごす時間もなかった。

 手紙の内容も個人的なことにはほとんど触れず、学内の状況を尋ねる内容と、下宿の本棚から「毛沢東選集」を取り敢えず3巻だけ差し入れて欲しいという事務的なものに留めていた。そして「手紙等のやり取りはすべて検閲されているから」と付け加えることを忘れなかった。

 手紙を出す場合、封はしない状態で看守に預けるようになっている。それを所長が目を通した後で糊付けして投函する。
 外から届いたものは封書であれハガキであれ、所長が開封して一読し、不審、不都合な箇所がなければその後に手渡される。差し入れ品も同じで本はページをめくり、ページの間に紙片が差し込まれていないか、何か連絡めいたことが書き込まれていないかなどをチェックしてから房内に届けられる。
 すべてが検閲済みで新聞も購読できるが学生運動等に関する部分はすべて黒塗りされて届けられる。一般犯罪者の場合は、本人の事件に関係する記事の部分が黒塗りされていることになる。

 新聞は朝日や毎日新聞といった一般紙ではなく、経済専門紙の日本経済新聞を購入して毎日読んだ。時の政権、財界寄りの記事しか載せない新聞だったが、日本経済や政財界の動きを知るにはよく、また勉強をするために敢えて日経新聞を読んだ。

 こうして日が経つにつれ拘置所内の仕組みが分かり新聞を読んだり、読書に励んだりできたが、それらを手にするまでの数日間は沈黙と孤独にひたすら耐えるしかなく、留置場生活が懐かしかった。
 留置場でも会話は禁じられていたが、それでも鉄格子の間から外の様子を見ることはできたし、人の動きも見えたし、同じような歳の若いヤクザが鉄格子に顔をくっ付けてエールを送ってきたりしたが、ここを支配しているのは沈黙の世界。面壁9年達磨の真似事でもと思ったりもするが、それも許されない。
                             (2)に続く
 


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