N の 憂 鬱-22
〜バリ封鎖と逆封鎖、法文本館の激しい攻防戦(5)
ー民主化行動委と大学側が結託ー


▽民主化行動委と大学側が結託

 潮目が変わりかけた−−。11月4日、5日の全共闘と民青のぶつかり合いを見ていた多くの学生がそう感じ始めた。今までなら全共闘系のデモ、集会の参加者の方が圧倒的に優勢だったが、民青主導の民主化行動委員会の呼び掛けに応じる数が増えてきたことに加え、記念講堂や図書館屋上で全共闘の突入を跳ね返し、追い払う様子を目にすると、民主化行動委員会が力を付けていると感じ、そちらになびく者が増えてきた。無党派層は常に勢いがある方になびくし、彼らの動向が勝敗を決めるのは選挙と同じだ。
 潮目の変化を感じ取ったのは学長を始めとした教職員も同じで、この頃から大学当局と民主化行動委員会は共同歩調を取るようになっていた。

 11月6日、愛誠会・全共闘の主要メンバーは集まり、佐藤訪米阻止闘争について協議していた。
「無期限ストなんて生温いことをやっているからダメなんだよ」
 ブントの古い活動家で哲学科のGが声を張り上げた。
 愛誠会は10月1日に開催した学生大会で無期限ストを決議し、法文学部本館、教養部教棟を占拠していたが、無関心層は相変わらずキャンパスに姿を見せないし、登校しても学内の様子見程度で、全共闘、民青のどちらの側にも興味を示さず、冷ややかな目で見て通り過ぎるだけ。
無党派層は数人ずつ集まり遠巻きに状況を眺め、眉をひそめヒソヒソ話をしたり、したり顔で状況を話す者はいるが、いずれもどちらかの側にシンパシーを寄せるわけではなく、その時々で「大学のやり方はおかしいのではないか」とか「暴力はよくない」などと他人事のように話すだけで、何らかの行動を起こすことはなかった。
 デモをしてもストを決議しても変わらない学内の動きに業を煮やしてGが吐き捨てるように言った。
 だからといって効果的な手があるわけではなかった。

 すると10月末に広島から帰ってきた中核派の1年生、大西が突如口を開いた。
「法文館をバリケード封鎖しょうぜ」
「あんなところをバリ封鎖しても、すぐ解除されるさ」
 史学部5回生の仲元が言下に言い放った。
「攻めて来たら火炎ビンを投げればいいんだ。捕まってもぼくは未成年だから新聞に名前が載らないから」
「そうか、君は未成年だからな。いいよな」
 と誰かが笑いながら冗談ぽく言ったものだから、他の者達も釣られて笑った。
「だけど俺達はバリ封鎖には反対だ」
「そうだな。法文館をバリ封鎖しても意味がない」
「やらなきゃいけないことは佐藤の訪米阻止だ。法文館封鎖より街頭デモで訴えることだろう」
「そうだ。市民を巻き込んだ反対運動にしなければ意味がない」
 それぞれが意見を言い合いだした時、Gが再び声を上げた。
「やるなら全学バリストだよ。個別にバリストするんではなく、正門にバリケードを築き大学を封鎖するんだ。それぐらいやらなきゃあダメだ」
 その言葉に多少意を強くしたのか
「皆がやらないなら、我々中核派だけでもやる」
 と大西が嘯いた。
 大西は広島でよほど「空気」を入れられたのか、随分戦闘的になっていた。
「分かった、分かった。中核派が法文館のバリ封鎖をやるというならお前らだけでやれ」
「よーし、我々だけでバリ封鎖してやる」
 大西が叫んだ。
 これでほぼ意見はまとまりかけ、それまで黙って皆の発言を聞いていた愛誠会委員長の上甲が議論を引き取った。
「明日の集会で全学バリストを提起し、決議することにしよう。その後、街頭デモに移るという方向で行きたいと思います」
「異議な〜し」

 これで会議は終わり、解散しかけると「ちょっと待て」と仲元が皆を制した。
「中核派が法文館のバリ封鎖をやるというんだからそれはそれでいいが、中核派にだけ任せるわけにはいかないだろう。我々は中に立て籠もりはしないが、せめてバリケードを築くぐらいは手伝ってやろうじゃないか」
「そうだな。手伝うぐらいはしてやった方がいいかもな。バリ封鎖には人数もいるだろうから」
 7日の夜、中核派の法文館バリケード封鎖占拠を手伝い、中核派以外の連中は速やかに退散することで同意した。
                                (6)に続く

#全共闘運動 #佐藤訪米阻止闘争
 


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