10月21日まで1週間余りに迫ったので、一人一人に会って最終意思確認をしていった。組織命令だからといって逮捕されるかも分からない場所に行けとはNの性格からして言えなかったのだ。
そんなNの気持ちを知ってか知らずか、誰もが躊躇する表情さえ見せず、まるで旅行にでも出かけるように「何を心配しているんですか。やってきますよ」と言わんばかりだった。
気がかりだったのは大阪招集を告げた時、わずかに表情が揺れた野中だ。彼は経済専攻の1年後輩だったが、自分に何かあった時は後事を託したいと考えていたナンバー2であり、彼がリーダーになって他の連中を引き連れて大阪へ行く。そのことの確認は前回したし、野中も了解していた。
しかし、前回はメンバー全員が集まっている場での通達であり、一人ひとりの本心、覚悟を確認したわけではない。だから今回、改めて一人ひとり個別に会って確認して行き、野中の確認は最後にした。
「もう学園闘争では何も変わらない。変えられると思うのは幻想だ。11月には佐藤の訪米が予定されているから、これからは佐藤訪米阻止、日米安保反対闘争に全力を傾ける。
差し当たっての目標は10・21で、昨年以上の情況を創り出そうとしている。そのためにどこのセクトも東京動員をかけているのは知っていると思うが、我が派も全員東京集結。だけど、よく分からないが俺らは大阪止まりになった。関西のMLに合流し、御堂筋で闘うことになる。
組織命令では俺が残って組織を守れということだが、野中、お前、皆を連れて行けるよな」
そこまで言って野中の目を正面から見据えた。
「はい。大丈夫です」
野中はそう返事をしたが、Nと合った目はそこに留まることなくわずか下にズレた。
(ああ、やはりこいつはブレているか)
組織命令は絶対だ。そしてNが残れという指示は正しい。そう思っている。組織は創る時より再建する時の方が何倍ものエネルギーを要する。よほど確固たる信念を持っていなければ一度消滅した組織を一人で立て直すことはできない。
Nに当時そこまでの信念、思想があったかといえば何とも言えなかった。ましてやNが誘って入って来た仲間たちである。セクトの思想というより人間的結び付きで一緒に行動している側面の方が強い。
そういう仲間たちに組織命令とはいえ、逮捕される危険性がある場所に行けとは言えない。そこが自分の弱さだということも分かっていた。
こういう場合、私情を挟むべきではないし、非情にならなければ組織は潰れる。頭ではそう分かっていたが、非情になり切れない自分がいた。だから一人ひとり個別に確認をしていった。
誰か1人でもブレたら、その人間は残そうと思っていた。その時まではまさか野中がブレるとは思ってもいなかったから。それが直前になって裏切りにも似たブレである。
他の者がブレるのは許せた。仕方ないだろうと思った。しかし、ナンバー2の立場にいる者がブレるとは。それも直前になって。敵前逃亡と同じではないか。そう思うと腹立たしかった。
「組織命令だ。行ってこい」
彼のブレに気付かない振りをして、そう言えば済む話かもしれないし、またそうしたかった。そうしないと組織は守れない。そのことは分かっていた。
だが、そう言えなかった。
逮捕されるかもと分かっていて行く奴はいないわな。ああ、それにしても今までは何だったんだろう。勉強会をする時間もあまりなかったからな。結局悪いのは俺だ。仕方ないか。
怒るというより諦めに似た気持ちになり、身体から力が抜けた。
「まだ学園闘争に未練があるのか」
野中の心を見透かし、野中が言いたかった言葉を代わりにNが口にした。それでも心のどこかでは、野中が否定してくれることを半分期待しながら。
「はい、ぼくはもう少し大学でやれることがあるんではないかと思っています」
ついに野中が本音を口にした。
その言葉を聞きながら、ああ、自分はダメなリーダーだ、と思った。負ける組織のリーダーはいざという時、非情になれない。
それでも強制はできなかった。代わりに自分が行けば済む。組織命令には反するし、その結果、組織が潰れることになるかもしれない。でも、上から言われて立ち上げたわけでもなく、自分が声を掛けて仲間を募って立ち上げた組織だから、他人のせいでなく自分のせいで潰れても仕方ない。そう自分を納得させた。
「分かった。では組織命令は俺に残れということだが、代わりに野中、お前が残れ。俺が皆を連れて大阪に行く。その代わり、もし皆が大阪で捕まったら、お前が面倒を見るんだぞ。それと1人になってもMLを再建しなければいけないが、できるか」
そんなことを確約させても何の保証にも、何の役にも立たないと分かっていた。
ああ、こんなんではサークルと変わりがない。組織を強くすることなどできやしない。やっぱり俺は弱い。リーダーには向いてない。
野中と別れた後、自省しながら夕飯を食べるいつもの食堂に向かった。
(5)に続く
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