N の 憂 鬱-19
〜夜明けに襲撃してきた防共挺身隊(4)


 その後も両者のやり取りは続いたが、占拠学生を説得に来た教官達は評議員とはいえ、彼らが何かの解決策を持って来たわけでも、その場で評議員会を開き何かを決定できるわけでもなく、両者の話は堂々巡りをするだけで時間だけが経過していくし、学長室を占拠した愛誠会・全共闘側にしても何らかの成果を勝ち取れるとは考えてなく、大学を「代表して」来た評議員に自己批判を迫るだけで、自己批判させるのが目的になってくる。

 午後11時20分、それまで最も激しく自己批判を迫られていた青野学部長が体調不良を訴え、次に解放された。
 日付が変わると、事態の推移を見守っていた大学側にも疲れと徒労感から軟禁状態に置かれている残り5教官の健康を心配する声が強まった。
「これ以上の監禁は命に関わる。もう待ったなしだ。解放するよう彼らに要求しよう」
「たしかにそうだ。もう限界を超えている。だが彼らがすんなり解放に応じるかどうか」
「急がないと危険だ。なにかいい方法は・・・」
「医者を中に入れて健康状態をチェックしてもらうのはどうだろう」
「それは名案かも。だが、こんな時間に応じてくれる医者がいるだろうか」
「朝まで待つわけにはいかんだろう」
「校医の先生に頼むしかないわな。緊急事態だから、と」

 深夜に呼び出される方もたまったものではないだろうが、教官、学生側双方ともに「出口なし」の話し合いに疲れも見えていたので、校医の派遣を受け入れ、校医の診断、助言に従い5教官を解放。時刻はすでに午前2時を回っていた。

 これをきっかけに全共闘内の中核派とブントの一部が強硬路線に転じた。26日午後、全共闘約30人が学内でジグザグデモを敢行。工学部棟東側広場でデモ隊の様子を眺めていた中山学生課長を発見するとジグザグデモをやめ、隊列を組んだまま学生課長目掛けて突進。あっという間に学生課長を取り囲んだものだから、デモ隊から逃れようとした中山と揉み合いになり、中山学生課長が押された勢いで転倒し頭部を激しく地面に打ちつけた。
 頭部挫傷、頚部捻挫、腰部打撲、脳しんとうによる全治3週間。大学側は被害届を出し、後日「中山事件」として全共闘の学生数人が逮捕され、公判が開始される。

 中山学生課長が転倒し、周囲の教職員に救出された直後、デモ隊が向かったのは行堂(あんどう)工学部長だった。工学部は学内右翼の拠点であり、行堂は評議員でもあり教官達の中でも最右派として知られていたが、法文学部自治会の愛誠会とは直接の接点がなく、文系、理学系学生を中心とした全共闘との交渉にも表に出てくることはなかった。
 それだけに熊山学長とともに全共闘排除を主張する強行派のトップとして全共闘系から嫌われていただけに、行堂の姿を目にしたデモ隊が中山学生課長の後、ターゲットにして向かったのは当然だった。
 行堂を取り囲み、そのまま教養部大講義室に「連行」し、機動隊導入等を決定した評議員会の内容を公開するよう激しく迫るが、行堂は頑なに拒否。そうなると全共闘の口撃はエスカレートする一方で、紅衛兵による実権派妥当闘争と同じような様相になり、暴力行為こそなかったが行堂への攻撃は激しく、その日の夜9時に疲労で倒れるまで手を緩めることはなかった。
                                  (5)に続く
 


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