午後11時半過ぎ、大学から機動隊の出動を要請する文書を受け取った県警はすぐさま出動、とはならなかった。
この頃までは世論の動向を気にし、自分達がマスコミや一般学生、市民から叩かれるのを避けたがっていた。どうしても出動しなければならない場合には、あくまでも「一般学生を含めた総意による要請」という形を取りたい。そうでなければ批判の矛先が我々に向かう。それだけは絶対に避けたい、というのが彼らの本音だ。
一方、大学当局は1刻も早い機動隊の出動を望んでいた。
とにかく本部事務局のバリ封鎖だけは早く解除したい。でなければ無能な学長と思われてしまうではないか。なぜ、県警は機動隊の出動を躊躇うのだ。言われた通りに文書での出動要請まで出したというのに。
熊山学長は苛立っていた。何が問題なのだ。どこが問題なのだ。なぜ県警は出動しないのだ。
周囲に当たり散らすが、県警内部の動きが分からないから、せっつかれた事務方もどうすることもできない。
「評議会だけの出動要請ばかりでなく、一般学生の出動要請が盛り上がらない限り早急な出動は差し控える」
県警詰めの新聞記者に県警幹部はそう漏らした。結局、当日中の機動隊出動は見送られた。
法文学部本館をバリ封鎖していた全共闘側にも焦りがあった。何度要求しても熊山学長は大衆団交に応じようとしないし、当初、愛誠会の大会で決議した授業ボイコットのスト期限が来たが、運動の次の展望が見えず、当面、バリ封鎖を継続することで一致した。
それに反発したのが封鎖派にも解除派にも属さず、様子見のいわゆる「一般学生」と称される層で、彼らは以前の日常を取り戻したかった。
当初の目的は達成したのだからバリケード封鎖はやめるべきだろう。授業に出なければ単位が取れないではないか。真面目に授業を受けたい学生は多いし、それを邪魔するのは許せない。
こうした声が上がり始めると、当初、バリ封鎖を容認していた学生達の態度も揺れ始めた。
元はと言えば法文学部自治会、愛誠会主催の大会で可決されたのは6月21日から25日まで5日間の授業ボイコットという期限付きストでバリ封鎖ではない。ところがスト当日の21日朝、全共闘系学生が法文学部本館のガラス窓を割って侵入しバリケードを構築して占拠したわけだから、自治会主催の大会決議に違反した「不法占拠」と言われても仕方ない。
「解除しろ」という声が大きくなるに従い、封鎖派の中でも意見の違いが見られ出した。
もともと全共闘はセクト(党派)ではなく、ノンセクト・ラジカルを標榜する学生の集団であり、内部には様々な意見、見解があったが、それを討論することで一致点を見出し、方向を決め進んでいる。
その点がセクトとは決定的に違っていたが、全共闘の中にはブントや中核などのセクトに属する人間もいたから激しくぶつかることはあるが、Nがいた大学は地方の四国ということも影響したのかセクト間でぶつかり合うということはなく、反代々木(反日共)、新左翼という軸でまとまっているように見えた。
強いて言えば赤ヘルのブント(共産同)系が多かったが、それは古くから活動していた連中がブントで、その頃は反代々木という以外に党派性があまりなかったという歴史的な経緯が影響していると思われる。
ただ1、2回生といった学年が若い連中には行動派の中核が多いように見受けられた。ブントはどちらかと言えば理論派だったから、行動的な中核の方が分かりやすく、感化しやすかったのかもしれない。
「封鎖解除」の声と共に愛誠会執行部を批判する声も上がってきた。学生大会決議は25日までの期限付き授業ボイコットで、バリ封鎖までは決議していない。それにもかかわらずバリ封鎖を強行したばかりか期限日が過ぎても占拠し続けているのだから「不法占拠」であり、それを黙認している執行部の態度はおかしい、というわけだ。
困ったのは執行部3役だ。彼らの内2人は中核派に属していたから、心情的にはバリ封鎖に賛成である。だが自治会執行部としては大会決議を遵守する必要がある。
「一度、バリ封鎖を解除して、再度、学生大会を開き、その場で無期限ストを提出し、決議し直そう」
全共闘との話し合いを行い、そう提案したがブントの活動家Gに一蹴された。
「そんな生温いことを言っているからダメなんだ。一気に全学封鎖まで持って行くんだ。我々は本気だと示さなければ、熊山は団交に出て来やしないんだから」
彼は哲学3回生だったが、工学部4回生の時にN達と同じように転学部していたから実際の年齢は23、24歳。対して自治会執行部の3役はいずれも19歳の「若造」。活動歴、年齢が違いすぎる「雲の上の人」みたいな存在であり、「恐れ多くて」言い返せるはずもなく、黙って聞くしかなかった。
そうした状況下で踏み切った本部事務局占拠だったが、学内は法文学部本館を占拠した時の容認雰囲気とは一変し、非難する声の方が目立ってきた。
(6)に続く
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