今後について議論をしたわけでも、今後の闘争方針を話し合ったわけでもなく、その場の雰囲気で一気に本部占拠が既定方針になり、道路1本隔てた向かい側の大学本部事務局に雪崩込むように押しかけた。
こうした事態を想定し、大学当局は本部事務局棟に昼夜を問わず事務職員数名を留まらせ警備に当たらせていたが、いつもと違う様子に彼らの顔に緊張が走った。
「なにか様子が変ぞな」
「”本部”とか”占拠”という言葉が聞こえた」
「奴らが押しかけて来るんではないだろうな」
「学長に知らせた方がいいかも。応援を呼ばなければ、我々だけでは止められん」
様子見に道路の方へ走る者、窓やドアの施錠を確認する者、ドアの内側に机や椅子を置き、侵入阻止のつっかえをする者など、慌てふためきバタバタと動き回る。
時間は午後7時。夏場の午後7時はまだ明るく、学内に残っている一般学生も多くいたし、騒ぎを聞き付けた民青系と体育会系の学生が本部事務局棟に駆け付けてきた。途端に本部前は騒然とした雰囲気になり、怒号が飛び交い、小競り合いが始まる。
「開けろ!」「暴力学生は帰れ!」「何を言う。お前らこそ帰れ」「やめろ!」「突入しろ!」
こうなると皆、理性は吹き飛び、完全に喧嘩だ。ゲバ棒が宙に舞い、ドアが壊され、中に雪崩れ込むヘルメット姿の全共闘学生。その小競り合いの中で警備に当たっていた大学職員2名が重症を負った。その事態に驚いたのが大学当局、なかでも管理責任者の立場にある熊山学長だった。
「下手をすると管理責任を問われる」
彼はなによりそのことを恐れた。
「こうなれば機動隊に出動してもらうしかない」
大学の自治云々と言っていた日頃の言動など忘れ去り、いや端からそういう思想は持ち合わせていなかったのだろう、大慌てで県警本部へ電話をかけ、機動隊の出動を要請した。
時刻は午後7時30分。デモ隊が本部事務局に押しかけ内部に乱入したのが同7時頃だから、そのわずか30分に満たない間に機動隊出動の要請をしたのだから、その決断はあまりにも早すぎる。初めて学内に機動隊を導入する場合はもう少し悩んだり迷ったりするものだが、この時間を見る限り、そういうことはなかったように見える。
▽機動隊導入
逆に出動要請を受けた県警本部の方が逡巡していた。午後7時半といえば幹部連中は5時までの勤務を終えて帰宅している者もいる。そこに電話がかかってきたのだから、それから警察幹部に招集がかけられ、県警本部で会議が始まったのは8時半を回っていたが、それで即座に出動となったわけではない。
県警は機動隊出動に慎重だった。まず状況確認を急いだ。一部校舎が「過激派によりバリケード封鎖が行われた」という状況は把握していたし、それ以降、大学周辺には私服警官を配置し、情報収集に努めてもいた。だが、大学内に入ることができない以上、入手できる情報は自ずと限られてくる。
今回の本部事務局「占拠」は事前情報も、予兆もなく、突発的な出来事だっただけに「私服」側は情報の隙きを突かれた格好になり、情況の把握すらできていなかった。
県警がまずしなければならないのはできるだけ詳しい情報収集だったが、大学周辺の「私服」からそれが上がってこないとなると大学に聞く以外にない。
午後9時半、熊山学長に電話で情況の説明を求める。だが、どうも要領を得ない。学長もその場にいたわけではないから、話はすべて伝聞だ。分かっているのは「本部事務局に押しかけた学生が暴力を振るって怪我人が出た」ということだけで、揉み合っている最中に倒れて怪我したのか、全共闘派の学生が角材で殴ったのか、その辺の詳細については分からないし、学長も話すことができない。
「話に具体性がなく、当時の情況がよく分からないな」
「そんな状態で機動隊を出動させたら、警察が大学自治に介入したと言われ、騒ぎがよけい大きくなる」
「東京の例でも分かるように我々が学内に入ると悪者にされ、一般学生からも激しい反発を受けかねない」
「我々が悪者にされる事態だけはなんとしても避けた方がいい」
「初動を間違うと後々面倒なことになる。マスコミからも叩かれるだろう。ここはあくまでも大学側の要請で出動したという形にならなければならない」
「そうだな。口頭による要請ではダメだ。大学側の要請を正式文書で出してもらえば形が整うだろう」
ということになり、大学側にその旨を伝える。
文書による出動要請ということになると、要請理由、要請機関名、機関責任者名、日時等を明示しなければならない。
県警の慎重な姿勢に戸惑いを覚えながら、熊山はバリ封鎖に反対の立場を取っている工学部の会議室に急遽、評議員を招集し評議会を開き対応を協議し、県警本部に求められるまま、機動隊の出動を要請する文書を提出することにした。
この時点で県警への機動隊出動要請を取り止めることも出来たはずだが、熊山はそうしなかったし、評議会も熊山の主張に引きずられるように出動要請文書の提出に同意した。
熊山が恐れたのは大学管理者としての管理能力なしと文部省から見られることだった。そこには学内問題は学内で解決するという大学の自治を守ろうとする姿勢は微塵も感じられなかったばかりか、熊山のこの姿勢こそが政府・文部省が目論んでいる大学立法そのものであり、熊山は学長(教育者)としてではなく大学管理者としての自身を強く意識していた。
要は大学立法の趣旨を先取りし、それに準じた体制を敷いていたといえるだろう。
同じことは評議会の構成メンバーにもいえ、大学立法反対の声を上げた当初、全教職員集会で「大学改革」を行うとしていたが、それはその場限りの偽証文であり、彼らには大学改革を行うつもりなどまったくなかったことが分かる。
(5)に続く
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