▽家族帝国主義との闘い
法文学部校舎の2階から落下し、両親とともに実家に帰り1か月近く過ごしたものの親との会話は合わず居心地はよくなかった。
「家族帝国主義との闘い」。そんなことが当時よく言われていたがその通りで、身近で、最大の敵は家族だった。最も身近な人間を説得できなければ他人を説得できるはずがない、とは思うが、肉親は厄介な存在でもあった。
親は理想や理論はどうでもよく、ただ子供のことを心配する。特に母親は。それはNの両親も同じで、バリケードから落下して怪我をしたと知らされ、飛んで来てくれたことでもよく分かる。母はひたすら身体のことを心配し、命に別条はないと知り少し安心していた。父も同じだったが、Nの「運動」のことに関しては何も言わなかった。
Nの行動を理解してくれると思っていた「進歩的なはず」の父が当時の状況について積極的に触れないことに不満だったが、Nの方からも状況を詳しく説明しようとはしなかった。
ただ、父の考えは母を通して間接的に伝えられるので察することはできた。
「お父さんが、バカなことして、と怒っている」
「お父さんに謝りなさい」「謝ってくれ」
母は毎回そう言って父に謝りを入れるよう促したが、そう言われれば言われるほどNも頑なに拒んだ。
「何を謝るんだ」
「親に迷惑をかけたんだから」
「怪我を心配して四国まで来てくれたことは済まないと思っている。だけど、それ以外では迷惑はかけてない」
「お母さんは、どれだけ心配したことか」
「ゴメン。まあ、この程度でよかったと自分でも思っているよ。落ちた所がよかったから助かったけど、もう少しどちらかに寄っていたら頭を打って死んでいるか、半身不随になっていたから」
「お父さんはあまり言ってくれないし。お母さんはどれほど心配したか」
そう言って涙ぐむ。
そんな話が毎日のように繰り返されると、ここは自分の居る場所ではない、と居心地の悪さを日に日に感じるようになり、行き場がないような気に捕らわれながら再び大学に戻って行った。
(3)に続く
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