N の 憂 鬱-16
〜バリケード封鎖と機動隊導入(1)
統一教会の女性


Kurino's Novel-16                    
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Nの憂鬱16〜バリケード封鎖と機動隊導入
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▽統一教会の女性

「キリストについてどう思われますか」
 学食横の掲示板を見るともなくぼんやりと眺めていた時、突然、後ろで女性の声がした。
 周囲に他の人間はいなかったから、その声は自分に向けられたものかもしれないと思ったが、最近、正門前に立ちキリスト教のパンフレットを手にして話しかけてくる女性達を時々目にしていたため、その類だろうと考え無視した。
 「Nさんでしょ。聖書研究会の案内を見られていたから興味があるのかと思って」
 すると再び声をかけられた。しかも今度ははっきりと名前を呼ばれたから顔見知りの女性だろうと考え、そこで初めて振り向き相手の顔を見た。
 小柄な女性の笑顔が目に入った。
「誰かと思ったら君か。いきなり声をかけられたからビックリしたじゃないか」
「ごめんなさい。後ろ姿が見えたからNさんではないかなと思って」
 少し恥じらうように微笑んだ顔は可愛かった。理学部の2回生で、Nと同期だが、歳は1つ下の女性だ。

 以前、部室があるサークル棟の英語研究会で1、2度見かけたことがあり、可愛い子だなと思っていた。英研の部室はサークル棟の入り口近くにあり、Nが所属する社研の部室は奥まった隅に、他のサークル部室とは一線を画するようにひっそりとあったから、部室に行き来する時は英研の前を通ることになり、その度に英研の方をチラッと見ていた。時に目が合ったりすることもあったが、そんな時は慌てて目を逸らし、知らん振りをして足早に通り過ぎるのだった。
 そんな様子に彼女の方でも気付いていたのだろう、ある時、英研の部室に誰もいそうになかったので、そっと中に入って覗いていると彼女が入ってきて声を掛けられた。

「英研になにかご用ですか」
いきなり誰何され、ドギマギしながら「いや、工学部の山野君がいるかなと思って。シェイクスピアを研究している・・・」と答えはしたが、イタズラが見つかった子供が言い訳をしているのに似て、言葉に詰まりながらそこまで口にするのがやっとだった。
 赤面して頬が火照り、背中が湿度で冷たくなるのを感じ、身体の向きを入口の方に変えたNに彼女が言葉を継いだ。
「山野さんは、この時間に来ることはあまりありませんけど、来たら伝えておきましょうか」
 山野を探しているという言葉を言い訳と見抜いたのか、ニコッとし「部室はこの奥なのですか。いつも前を通って行かれているから」と話を続けてきた。
「社研です」
「社研? 新聞部の方かと思っていました。社研って、聞いたことないんですけど、この奥にあるんですか。奥は行ったことないから、どんなサークルがあるのか全然知らないんです。奥に行くのは何かちょっと怖そうですし」
 と首をすくめ、少し上目遣いにNを見上げた。
 会話を打ち切ろうとする態度が見えなかったので、Nは少し落ち着きを取り戻し「行ってみますか、社研の部室に。一応、女性部員もいるんですよ。まだ誰も来てないと思いますけど」と誘ってみた。
「えー、行ってもいいんですか。行ってみようかな」

 それ以来、学内で時々言葉を交わすようになった。

「キリストをどう思うかって、何が聞きたいの」
「いえ、この世には科学では説明つかないことが色々あるでしょ。キリストも奇跡を起こしているし、そういう現象に対してどう思われるかと思って」
「そうだね。キリスト宇宙人説もあるしね。ぼくは宇宙人はいると思うな」
「聖書は読んだことあるよ。新約より旧約の方が面白いね」
「そうですか。新約はあまりお好きじゃない?」
「うん、どこか嘘っぽいというか、創られた感があるよね。キリストの弟子の中ではユダが最も人間らしいと思うよ」
「え〜、そうですか」

 一般的な見方ではユダはキリストを裏切った男で、唾棄されても評価される対象ではなかったし、「ユダが最も人間的」などと言えば、キリスト教を信じる者からは「あの裏切り者のどこが人間的なのだ」と怒られるだろう。
 だが、元々神など信じていないし、<神が自分に似せて人間を創ったのではなく、人間が自分に似せて神を創った>のであり、神は人間の創造物であるというのがNの考え方で、宗教の授業ではそのような趣旨のリポートを提出していた。

 銀貨30枚でキリストを裏切り、通報し、キリストが磔になって死んだ後、後悔し、悩み、最後には自ら死を選んだユダの心の葛藤。それこそが弱い人間の迷い、悩み、葛藤であり、だからこそ人間臭いではないかと考えていた。
 常に「マスト」で進んでいける人間は羨ましくもあるが、どこか嘘っぽく感じてしまう。やはり人間は弱く、それぞれに悩みを抱えて生きている。ユダの裏切りを肯定はできなくても、悩み、迷いがあったことに思いを馳せる必要がある。そう考えていけばユダこそが生身の人間らしく見えてくるのだった。
 遠藤周作もそんな一人だったようで、1966年に発表した「沈黙」の中では「キチジロー」という登場人物にユダを重ねていた。

 60年代後半という時代は新しい価値観を求めていた。従来のステレオタイプの見方や行動とは異なった価値観や視点を。
 だからといって大半の学生が髪を女性のように長くしたりギターを持って歌っていたわけではない。むしろその逆で大半の学生は髪も長くせず、街頭にも出ず、取得単位を気にして「真面目に」授業に出て卒業しようとしていた。

 Nはどちらでもなかった。髪を長く伸ばしてもいなかったし、ビートルズの音楽も知らなかったが、麻雀もしなかったし、就職のことを考えて「真面目に」授業に出るわけでもなかった。
 いうならどちら側の「マスト」でもなく「ザイン」だった。「キチジロー」にはなりたくなかったし、「キチジロー」は嫌いだったが、自分がそうならないとも限らなかった。そうならないためには、そうなる可能性を常に意識しながら実存していくことだろう。

「統一教会って知っています?」
「えっ、統一教会? 知らないな。それがどうしたの」
「いえ、キリスト教について色々話されてるから、統一教会のことも知っているのかなと思って」
「あ、そう。ぼくは無神論者だから、宗教には興味がないけど、統一教会ってキリスト教と関係があるの?」
 その時初めて、もしかすると彼女は勧誘目的で声を掛けてきたのかと疑い、ちょっとガッカリした。理系で知的でかわいく、好きなタイプだったのに、と思いながら、その日はそれで別れた。
 後日、友達に「統一教会って知っているか」と尋ねると、「勝共連合と同じ組織だ」と教えられ、一気に興味を失った。
                             (2)に続く
 


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