N の 憂 鬱-13
  闘争委員会を結成し、哲学科ストに突入する(5)
−全学に先駆け哲学科スト突入宣言



▽全学に先駆け哲学科スト突入宣言

 N達の大学でも学生会館(学生寮)の管理・運営を巡った反対運動から学生会館封鎖、裁判所の執行官・作業員による強制退去、逮捕、「大学立法(大学の運営に関する臨時措置法)」反対闘争等が繰り広げられ、キャンパス内でヘルメット姿やデモをする光景が日常になりつつあった。

 民青系と新左翼と呼ばれた反代々木系が学内ではっきり対立し始めたのは大学立法を巡る抗議行動からだ。当初、大学立法を巡っては学長を始めとした大学教職員が抗議の声を上げ、それに歩を合わせるように学生自治会も反対の声を上げて抗議集会を開き、決議表明を採択した。
 しかし、民青系が牛耳る自治会執行部は大学当局と一体になった決議表明を採択することを主目的にし、それ以上の抗議行動はおろか、大学立法が国会に提出される背景について深く議論したり、抗議行動を行う動きは見せず、民青系が牛耳る自治会執行部のそうした動きに生温さを感じた反自治会、反代々木系学生達は民青系自治会執行部主導の抗議集会に不満を持ち、次々に反対意見を発言するが、「ナンセンス」「異議な〜し」の声が飛び交う中、議論を打ち切られ、大学当局と一体となった決議表明が採択されて閉会した。

 自治会執行部の議事進行に不満を感じた学生達は集会終了直後、反執行部系学生の呼び掛けに応じ、キャンパス内で独自に集会を開催。集会参加者は250名を数え、多くの学生が自治会執行部の抗議行動に不満を感じていたのかが分かる。
「こんな決議表明では意味ない」
「大学立法反対を叫ぶだけではないか」
「国大協路線こそが問題なんだよ。そこを問題にせず、大学立法反対と言うだけではナンセンスだ」
 口々に叫び、否が応にも皆の気勢が上がる。
「デモだ! デモをしょうぜ」
「おう、そうだ。デモをするぞ」

 潮流が変わりつつあることは誰の目にも明らかだった。今や多数の学生が反執行部、反民青でまとまりつつあった。だが、このままでは一過性で終わる。今日は多くの学生が集まったが、次回の呼び掛けにどれだけ集まるのか。きちんと組織化していく必要がある。でなければ単なる烏合の衆で、その時々に反対の声を上げるだけのマスターベーションでしかない。
「ちょっと待て! その前に今後どうするのか、今後の行動スケジュールを決めようではないか」
 飴野が声を上げ、その場を仕切り出した。飴野は経済専攻でNと同期だったが、あまり一緒になったことはなく顔を多少知っているという程度で、存在を知ったのはこの時が初めに近かったが、以後、彼が全共闘運動の中心的存在になっていくが、この時はそんなことを知る由もなかった。

 飴野により闘争委員会の結成が提案され、今後の闘争方針が話し合われ、運動の主導権を民青系執行部の自治会から奪取すること、闘争委員会が今後の運動を主導すること、3日後の5月26日に闘争委員会準備会を結成、全学闘争委員会結成に向けた連絡会開催集会を開くこと等を決定し、参加者全員でスクラムを組み学内デモを行い気勢を上げ、この日は散会した。

 こうした動きの一方で、哲学教室は自分達の問題に直面していた。新任教官選考過程の不透明さ、非民主主義的決定に対し疑問を感じた哲学生達は次回講義をボイコットし、説明を求める場に変更すると決めていたが、ボイコットする講義はA教授の担当時間と秘かに決めていた。
 そんなことを何も知らないA教授はいつものように教室にやって来て出席を取り出したが、返事をしたのは何も知らされていない数人だけで、その他の者は呼ばれてもダンマリを決め込んでいた。ダンマリを決め込んでも元々が10人そこらの人数だから教授にしても全員の顔と名前は分かっており、出欠を取るのは一種の行事みたいなものだから、返事をしてもしなくても関係ない。顔を確認し、出席簿に〇を付けていっていた。
 最初の1人、2人は気にも留めていなかったようだが、3人目もダンマリのままだと、さすがにいつもの空気と違うものを感じたのだろう「なぜ返事をしないのですか」と詰問調で声を少し荒立てた。今日のことを何も知らない女子学生他数人もいつもと違う異常な空気を感じ取り、緊張の面持ちで周囲を見回す。

「我々は今日の授業をボイコットします」
「ボイコット? 何を言っているんですか」
 訳が分からん、という顔をし、誰かに救いを求めるように教室内を見回すが事情を知らない数人は教授の問い掛けに応えることもできず、教授と同じように戸惑いの表情を浮かべるだけだった。
「新しく赴任して来た助教授の選考過程がおかしいので、その説明を求める場に変えたい」
「君達は何のことを言っているんですか。新しい先生は決まって、もう来ているじゃありませんか」
「その選考過程がおかしいと言っているんだよ」
 同期の中では最も年上で工学部4回生から転学部してきたGがひと際大きな声で追及した。
「最初は別の先生に決まっていたというじゃないか。それをあんた一人が反対して引っ繰り返したんだろう。おかしいだろうが。なぜか明らかにしろよ」 
 GはA教授を「あんた」呼ばわりしながら追及していく。
「そうだ、そうだ。多数決の原則からいってもおかしいではないか」
「多数の意見が尊重されず、たった一人反対した意見が通るのではゴリ押し、ゴネ得ではないか。そんなことが許されていいんですか」
 学生達の追及の声に吊し上げ大会に近いものを感じ、分が悪いと思ったのだろう「授業を受ける気がないなら、これでやめます」と言い置き、Aは足早に教室を出て行った。
「これでは話にならない。今後は全闘委の名で団交を要求しようではないか」

 最初の内、批判の矛先はAに向けられていたが、次第に哲学教室の改革に向けられていった。
 まず槍玉に上がったのが悪評だった出欠簿の廃止と、リポート提出への変更で、これを行っているのはA教授だけだったから、実質A教授への批判といえた。
 次がカリキュラム編成への学生参加で、学生は一方的に教えられる立場ではなく、教授達と学生は対等な立場であり、共に哲学を研究する者であると位置付けた。
 哲学教室では理工学部等で見られた教授、助教授、助手、学生というヒエラルヒーは形作られも見られもせず、教授達も偉ぶったところがなく、他学部、他学科などで見られる上下関係はなくフランクな関係ではあったが、カリキュラムの編成や内容は教授の特権に属する部分であり、そこは教授の聖域。そこに学生の意見を聞いて入れろというのだから、既得権にしがみついているA教授などにしてみれば到底認めることができない驚天動地の要求だったが、助教授の中には学生の要求に理解を示す者もいた。

 団体交渉(団交)に至らないまでも教授達との交渉を続ければ続ける程、両者の立場の違いが明確になっていく。それはそのまま進歩的と見做されていた教授達に向かわざるを得なくなる。
 なぜ、たった一人の反対意見に屈したのか。民主主義の多数決原理に反するではないか。講義で教えている内容と行動が違うではないか。

 学生達の追及は道理である。であるが故に追及された道理に明確に反論することはできないということを教授達は分かっている。
 それを理解しながら、なぜ、たった一人の反対意見を許したのか。
 学生達の追及は反対したゴリ押し教授以上に、多数者であったにもかかわらず最終的に反対者の意見に同調した教授達、中でも進歩的と考えられていた教授達に向かう。「裏切られた」という思いが憎悪になるのはよくあることだ。

 「後任者の最終決定権は哲学教室ではなく法文学部の教授で構成される評議会にあり、哲学教室が決めた助教授案がそのまま受け入れられるとは限らない。評議会の構成メンバーを考えればC大学のマルクス哲学を専門とする助教授は評議会で賛成されないというのがA先生の意見で、そう言われればたしかにその可能性はあり、それなら最初から評議会で賛成が得られる先生を後任助教授として推薦しようかという話に最終的になりました」

 彼らはこう弁明したが、納得できない学生達は6月17日、哲学科独自にスト突入宣言をした。これが全学に先駆けた最初のストとなった。
                              次回に続く


(著作権法に基づき、一切の無断引用・転載を禁止します)

トップページに戻る 栗野的視点INDEXに戻る