Kurino's Novel-14
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全闘委、全共闘結成し、大学立法粉砕闘争
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▽大学立法から国立大学法人化へと続く道
哲学科がスト突入宣言をした2週間前の6月4日、比較的早い段階から三里塚闘争、ベトナム戦争反対、エンタープライズ号の佐世保寄港阻止闘争等を闘っていた新左翼系の学生を中心に、民青(日本民主青年同盟)がヘゲモニーを握っている法文学部自治会(愛誠会)執行部の方針に不満を抱いた学生達が学内で「大学立法粉砕」討論集会を開催し、その場で愛誠会とは別の組織、「全学大学立法粉砕闘争委員会(全闘委)」を結成した。
その一方、愛誠会執行部の3役、委員長、副委員長、書記長に立候補し、自治会を闘う組織に変えようとする動きもあり、6月の自治会執行部選挙では反自治会側が勝利した。その結果、執行部3役を反民青系が占め、ここに全闘委と法文学部自治会が共闘する形が出来上がった。
その5日後、法文学部だけでなく教育学部、工学部、農学部の自治会連絡会、全学自治会連絡会議(全自連)の第1回全学集会が開催されたが、直前に行われた選挙で愛誠会の執行部3役はそれまでの民青系に代わり反民青系が当選していたから、学内の潮流が変わってきたことは誰の目にも明らかだった。
同日、集会を開いたのは学生だけでなかった。大学側も学内全教職員が参加して大学立法に反対する声明を出す目的で「大学問題全学教職員討論集会」を開催。ところが一部の助教授達から「大学改革委員会」の設置を要望する声が出た。これは学内ヒエラルヒー(ドイツ語で階層の意)の存在に対する問題で、学長達にとっては読み外れと言ってよかった。
大学教職員と言っても、そこには学長、学部評議員、教授、助教授、助手、職員というピラミッド型の階層が存在し、各層ごとにある種の権力を保持している。例えば教授は助教授、助手の人事権を握っているし、研究室では絶対権力者として振る舞っている。
大学立法反対に名を借り、そこを問題にされたくはない、というのが既得権を享受してきた連中の本音だ。
最近でこそパワーハラスメント(パワハラ)、アカデミックハラスメント(アカハラ)という言葉で、こうした問題が表面化しているが、当時から50年以上後の現在でも学内ヒエラルヒーと、そこに付随した権力構造は改善されるどころか厳然と存在し続けていたことが分かる。
当時、全国の大学で起きた学園闘争で提起された問題は何一つ解決されていないどころか、2003年に国立大学法人法が制定され、国の干渉は一層強化された。その一方で大学の運営費交付金は減額されていっている。
平たく言えば、国立大学も私立大学並みに大学の運営費は自分達が努力して稼げというわけだ。その結果、大学の産学協力は進み、産業界から研究費を稼げる医学・理工系が偏重され、カネを稼げない文系や基礎研究分野は教員の人件費や研究費の面で差を付けられているし、各大学がベンチャー企業育成に力を入れるのも外部からの資金導入目当てとあながち無縁ではない。
こうした動きが20年も続けば、カネを稼げる(上品に表現すれば、外部から資金を獲得できる)大学とそうでない大学間の格差がますます広がるのは明らかだし、人件費の節約は優秀な教員の採用を妨げ、それは教育の質を低下させることに直結する。
教育の機会均等は国立大学からも失われ、旧帝大系の一部大学と、それ以外の大学では同じ国立大であっても教育レベル、就職先等あらゆる分野で差が付く。
それなら出来るだけレベルが高い大学に入学したいと考えるのは人情。だが、そのためには早い段階から塾に通い、有名中学、高校、いや近年は幼稚園から受験勉強をしなければ間に合わないと言われているようだが、学校の授業だけではダメで塾通いが必須と言われている。
塾にもまたランクがあり、ランクが高い塾に行かなければ有名校に入学できないとなれば、そこまでの経費を出せる家庭はそうそうザラにあるわけではない。結局、親の資産で入学できる大学がほぼ決まってくることになる。
頑張れば報われる、というのは嘘というのは言い過ぎかもしれないが、もはや頑張っても報われない社会が厳然と存在しているということは誰もが認めなければならないだろう。本人の努力とは関係ない、生まれながらの財力で差が付く社会になっているのだ。そのことを認めず、未だに貴賤に関係なく頑張れば報われると言うのは、階級差別の存在を隠そうとするマヤカシ以外の何物でもない。
こう見てくると時代は進歩しているとはとても思えない。むしろ逆ではないか。60年代後半からの全共闘闘争で提起された問題は、先頃の田中・日大前理事長の大学私物化問題を例に挙げるまでもなく日大闘争が起きた当時と酷似している。
歴史は繰り返す−−。大学と学生を取り巻く状況は50年余り前と全く変わってないどころか悪化してさえいる。誰も彼もが経済優先で、カネのための短絡的な犯罪は激増している。当時と違うのは、今の状況に対して誰も「ノー」と言わないことだ。「ノー」と言わないのだから、当然、立ち上がり行動することもない。
(2)に続く
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