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N の 憂 鬱-13
〜闘争委員会を結成し、哲学科ストに突入する(2)〜


  ◇新入部員増で活気づく社研

 Nが2回生になった年の春、社研に異変が起きた。それまでの3年間、入部者が1人もいなくて開店休業状態だったところに、社研の歴史も活動内容も何も知らないNが「飛んで火に入る夏の虫」状態で飛び込んできたのが半年あまり前のこと。それだけでも先輩達にとっては画期的なことで、読書会を開き、純真無垢な青年を鍛え上げにかかった。
 Nも「勉強不足だ」と一括された甲斐があって、なにくそとばかりに本を読み、常に先輩達と行動を共にする学生生活を送っていた。特に仲がよかったのは法律専攻の中西と鎌本の2人で、この2人からはバイト先を紹介されたり、3人で徹夜をしたりと、よく集まっていた。
 2人の下宿のほぼ中間地点にNの下宿があったから、集合場所はいつもNの下宿になり、サントリーの「レッド」を飲みながら徹夜したりもよくした。徹夜といっても勉強ではなく囲碁だが、腕は互いに似たり寄ったりのヘボ碁。それも雑談を交わしながらの碁打ちだから、熟考などはなく、ひたすら早打ち。だからいくら打っても上達しなかった。

 3人がほぼ定期的に集まっていたのは生活費の融通し合いも関係していた。ある時、鎌本が「お前、ちょっと金を貸してくれない」と歩きながら、Nにまるで世間話でもするような他人事のような口調で言った。この男はいつも本気とも冗談とも取れるような言い方をするから、それを聞いても切羽詰まった様子は感じられないし、申し訳ないがというような表情さえ見せないから、本当に金を貸して欲しいと思っているのかどうかさえ分からない。
 そのためNも「どうして金がいるんですか」と、これまた当事者感がない言い方で聞き返した。
「バイトの金が入るまでで、1万円でいいから貸してくれないか。バイト代が入れば返すから」
親から受けていた仕送り額が5万円の時代だから、1万円は学生生活の1/5の額。現在の1万円とは貨幣価値がまるで違う。それでも10日以内に返してもらえるなら、なんとかなりそうだと判断し
「分かりました。1万円ならなんとかできるでしょう。しかし、仕送りがあるのは毎月20日だから、それより前には返してもらえないと、ぼくが金欠になりますからね」
 と返事した。
「ああ、バイト代が10日に入るから、その日に返せる」
 翌月になると中西が同じことを言ってきた。それまでの付き合いから先輩2人共が遊びに金を使うタイプではなかったし、それぞれに仕送り日等がはっきり分かっていたので、鎌本同様中西にも1万円を貸した。Nが彼らに貸してくれるように頼むことはなかったが、気が付けば3人が財布を共有しているような関係ができあがっていた。

 「おい、新入部員がいるんだって。女の子も入ったと言うじゃないか。お前、なにかしたんか」
 中西がいつもの笑顔をさらに崩してNに問いかけた。
「そうなんです。ビックリしましたよ。2回生が4人で、その内2人が女です。別に何かをしたわけではありませんよ。サークル紹介の時に、新入部員募集という案内を出しただけです。まさか入部してくる奴がいるとは思っていませんでしたけど」
「ふーん、そうか。おもろいな。よし、今度、読書会に参加するわ。読書会はするやろ。鎌本にも言うとこう」

 Nが社研に入った時に「面接」をした、鋭い目つきをし、時々上目遣いに相手を見ながら早口で喋る麻田にも新入部員のことを報告した。今後の読書会のことや会の運営をどうするかという問題があったからだ。
「N君、君が会長になってやりたまえ」
「えっ、島さんや釜本さん、中西さんがいるじゃないですか。ぼくは2回生だし」
「彼らは4回生だから、もうそんなに会には出てこないだろう。2回生と言っても君が一番古いんだし、社研のことは分かっているんだから」
「そう言われればそうですけど。麻田さんはどうされます」
「俺か。色々忙しくてな。あまり参加できないと思うし、君が自由にやればいい。ところで、これ今週号の『前進』。いろんなことが分かるから読んだらいい」
 「前進」は中核派の機関紙で、ブントの機関紙が「戦旗」。麻田は「前進」を配りながらオルグをしていた。
 不思議なのはこの間まで麻田が配っていたのは「戦旗」だったことだ。それが東京の集会から帰った後、突然「前進」を配りだし、「戦旗」は哲学の先輩で新聞部のBが配布しだした。だが、彼はこの間まで「前進」を配りながら中核派の活動家やシンパを増やす活動をしていたのに、東京の集会から帰ってくると、その2人が配るセクトの機関紙がそっくり入れ替わったのだから驚いた。
 東京で何があったのか分からないが、この「事件」は当時、自治会活動をしている連中の間でもちょっとした話題になった。

 新入部員が入って最初の会は会員の顔合わせと今後の読書会の進め方についての説明に留めた。先輩部員の中で参加したのは中西だけだったが、彼は終始にこやかな顔で皆の話を聞いているだけで、口を挟むことはほとんどなかった。それでも中西の笑顔が場の雰囲気を随分和ませてくれたのは事実だ。
 麻田にも事前に知らせていたが顔を見せなかった。もし、麻田が参加し、新入部員を鋭い目つきで眺め、小さな声でボソボソと囁くような喋り方をすれば、その凄みに女性達はもちろん、社研のことをよく知らず、ごく普通のサークルのように思って入部してきたであろう連中はきっと今回限りになったかもしれないと思い、麻田の不参加にどこかホッとしていた。
 男性2人は農学部と経済専攻生で女性はドイツ語専攻と史学専攻。女性の参加というだけでも恐らく初めての出来事ではないかと思うが、ドイツ語専攻と聞きよほどの目的意識を持った女性なのかと思ったが、見た目はおっとりしたタイプで、およそ社研で活動しそうな感じには見えなかった。

 「あの女の子はいいなー」
 いつものように中西、鎌本と行動を共にしていたが、この日は珍しく部室に3人集まり、雑談しながら今後の会の運営についても相談していた。
「何の話ですか」
「いや、今度入ってきた女の子だよ。ドイツ語専攻と言っていたよな」
 と中西。
「何がいいんだ」
 新入部員の顔合わせ会に参加していなかった鎌本は自分が話に加われない苛立ちを隠しながら素っ気なく問いかけた。
「あの子は美人だ。今風な美人ではないが、言うなら平安美人だな」
 と妙な褒め方をする。
「そう言えばミス文甲とか、準ミスとか聞いたような。といっても正式なミスコンテストではなく、あくまで文甲内の噂でですけど」
「そうだろう。あんな美人は珍しい」
 とベタ褒めするのには少々参り
「そんなにいいなら口説いてみたらいいじゃないですか」
 と投げかけると
「いや、俺はいい。お前、口説いてみないか」
 と話を振ってくる。
 鎌本は中肉で背が高く、女性に持てそうな顔をしていたが、不思議と女の話を聞いたことがない。それどころか周辺に女性の匂いさえ感じないのは不思議だった。といって女性に興味がないわけではなさそうだというのは、部屋に「平凡パンチ」などが無造作に広げられていたことからも分かる。

 新入部員が増え、会の構成員が若返ったことで組織にプラスとマイナス2つの変化がもたらされた。プラス面は部室に人が集まり、それまでの人を寄せ付けない雰囲気があった部室が明るくなったと同時に男性部員達の参加が「皆勤賞」と言っていい程上がり、「普通のサークル」ぽくなった。
 マイナス面は社研らしさがなくなり、「普通のサークル」のようになったことだ。3、4、5回生の中に1回生が1人飛び込み、「勉強不足だ」と怒られながら、クソっと組み付いていき、先輩達もそれに応えるように読書会で容赦なく鍛えてくれた緊張感は明らかに失せ、読書会も和気藹々的なムードで進められだした。
 そんな関係にNは戸惑うと同時に、少しずつイライラを募らせてもいた。伝統ある社研を普通のサークルに変えてしまえば先輩達に申し訳ない。少しでも以前の社研に戻さなければ。そう考え、夏休みに夏季合宿も行ったりしたが、やはり先輩達が参加しない合宿には緊張感が欠けていたし、N自身にもどこか遊び気分があったのは否定できない。
                                              (3)に続く

 


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