Kurino's Novel-11
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転学部して哲学に進む
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▽転学部し、哲学に進む
「ところで、ぼくの授業は受けられましたか」
「はい。先生の授業を受けました」
「試験の成績はどうでしたか」
「”可”でした」
教授は一瞬困ったような表情を浮かべたが、次の瞬間
「はははは、私は”可”を上げましたか」
と笑いながら頭を掻いた。
その様子を傍で見ているものがいれば、教授の方が低い点数を付けて申し訳ないと謝っているように見えたかもしれない。
その少し前、先輩達から理工系から転学部する場合、在籍学部の席を抜かないと転学部試験を受けられない。転学部試験に失敗すると戻るところはなくなるからと注意されたし、社研や新聞部の先輩達から「指導教官は決めているんだろ。なら、その教授のところに一升瓶でも下げて頼みに行った方がいい。哲学に進みたいので宜しくお願いしますと。失敗したら元の学部に戻れないんだから」と脅かされていた。
文系から理工系への転学部なら試験で落ちることはあるだろうが、逆だから、試験で落ちるなんてことがあるわけがない。一升瓶を下げてお願いに行くなんて、そんなバカなことはようせんわ、と笑い飛ばすと、「哲学の試験は何だったんだ」と聞かれ「”可”でしたけど」と答えると、今度は彼らが笑いだし、「それなら絶対に挨拶に行った方がいい」とあまりに勧めるものだから、取り敢えず哲学に進むと先生の下で勉強したいと考えています、という事前挨拶ぐらいはしておくのが礼儀かも知れないと考え、教官室を訪ねたのだった。
「一般教養の哲学の授業は入門程度のもので、あなた達はそういうのは通り越して、もっと専門的にやられているからバカらしいような内容ですからね」
と、”優”でも”良”でもなく”可”の成績で哲学を専攻したいと言うのか君は、と怒るわけでもなく、教授の方が謙虚で、会話だけを聞いていればどちらが教授か分からないような話し方をした。
「私が言うのも変ですが、哲学は今の学部にいても学べますよ。その方が就職もいいですし。哲学に来られても就職先のお世話ができるほど私にはそちらの力がありませんから、わざわざ転学部までして哲学を学ばなくても」
と教授は諫めにかかった。
「分かります。でも、先生、今のぼくには哲学が必要なんです。特に今のような時代、哲学が求められていると思いますが」
哲学を教えている教授が「哲学は片手間でも勉強できる」と説く自己矛盾に気付いたのだろう
「実は私もあなたと同じことを言っていましてね。最初は医学部だったのですが、途中で哲学に転学部したのです。その時の先生が井隆(いで たかし)で、相談に行くと随分反対されましたよ。でも、その井(いで)先生も元々は理系だったのが哲学に変わられていたわけですから、先生も変わられているのになぜ反対されるのですかと私も粘りましてね。そういうと井先生もとうとう諦めて認めてくれました。ははは」
「ということは井隆から3代続けて転学部しているわけですから説得力はありませんね」
二人して笑いあったが、井隆は岡山県津山市の出身で、その弟子が小森教授。3人が3人とも転学部をしてでも哲学を学びたいと考えたのだから、何か縁のような不思議な繋がりを感じる。
「先程も言いましたが、就職先のお世話はできないと思いますが、卒業後はどうされますか」
「ドクターコースまで進み、大学に残り、できれば教授になりたいと思っています」
「そうですか。うちの大学で専門課程に進む段階で大学院に行きたいと言ったのはあなたが初めてです。うちの大学には大学院はありませんから、院に進むとなると他所の大学院を受けることになりますが、残念ながらうちの大学では大学院進学に向けた体制ができてないので、試験勉強はご自分でしてもらうしかありません。もちろん個人的には協力しますが、それでも構いませんか」
「はい、それは別に構いません。大学院修了後のことですが、ここに戻って来る道はありますか」
「そうですね、それができると一番いいと思いますが、恐らくあなたが博士課程を終えた頃には私達が退職した後になると思います。誰か残っているとまだいいんですが、皆入れ替わって、新しい人になっているから難しいでしょうね」
小森教授は東京大学を首席で卒業するなど優秀な学者だが、学生に対して「君(きみ)」ではなく「あなた」と呼ぶなど少しも偉ぶったところがなく、常に柔和な物腰で、物静かに話す教授だった。
実れば実るほど頭を垂れる稲穂かな。
話をしながらNの頭にそんな言葉が浮かんでいた。
その一方で多少の物足りなさを感じてもいた。Nの性格からして優しく諭されるより、「一般教養の哲学で”可”ではちょっと厳しいですね。もう少し勉強しないと難しいでしょう」ぐらいのことを言われた方がやる気が出る。
実のところ、哲学入門的なものを飛び越えてマルクスやサルトルなどをすでに噛っていたから、一般教養の哲学史的な講義には興味も関心もなく、講義をまともに聞いてなかったとはいえ「可」の成績は悪すぎる。大いに反省し、専門課程では小森教授に恥をかかせないためにも哲学の成績は全て「優」を取ると固く心に誓っていた。
講義がない時間には教授室を訪ね、よく論争を挑んでいたが、大抵は一夜漬けで身に付けた借り物の理論だから、こなれていず、教授は見抜いているはずだが、そんなことはおくびにも出さず「そうですか。そういう考え方もありますね」と穏やかな物言いで応じるのだった。
それがまたNを苛立たせた。付け焼き刃の理論で、どの哲学者の説かは見抜いているはずなのに、そのことを指摘せず、正面から論駁するわけでもなく、柔らかく包むように話すものだから、黒先手で攻めていると思っていたのに、中盤に差しかかった頃には白の陣地が広がり少し分が悪くなっていることに気づき、終盤になると完全に形勢不利。参りました、と投了に追い込まれるのだが、白兵戦で戦い負けたわけではなく、やんわりと周辺を固められ逃げ道を塞がれてしまい、降参せざるを得ない状態だから、どうも議論で負けた気がしない。もう少し攻め手があったのではないかなどと考え、よーし、次こそは先生を負かしてやる、と心に誓い、また別の日に教授室を訪ね論戦を挑む、ということを繰り返していた。
(2)に続く
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