N の 憂 鬱-10
  〜夜明け前の街頭ビラ貼り(3)


▽街頭ビラ貼りとアンガージュマン

 「坊っちゃん温泉」の朝湯に浸かりながら授業に出るというのんびりとした学生生活を送っていたNの周囲にも少しずつ波は押し寄せていた。大きな力を持った勢力が自由や自治に対する締め付けを強化し、反対勢力に対して力で抑え込む動きを強め出していた。その象徴が三里塚農民の土地没収であり、三里塚農民の反対運動に対し機動隊導入による有無を言わさぬ実力行使だった。
 いつの時代もというか、どの世界でも社会の動きに最も敏感に反応するのは学生である。フランスでも中国でも香港でも、身を挺して反対運動の先頭に立ったのは学生だ。それは一つには行動しやすいという環境も影響していただろうが、なにより彼らは問題の本質を捉える目を大学で学んでいたからであり、労働者が生活に縛られ動きにくい環境下にあったのに対し、学生は良くも悪くも身軽だった。

 フランスでは哲学者、ジャン・ポール・サルトルが「アンガージュマン」(政治や社会の問題への積極的参加)を訴え活動していたし、ベトナム戦争反対を叫ぶデモも世界各地で起きていた。
 Nが通う大学でも学生会館の管理運営や学費値上げ問題等が持ち上がり、それらに反対する貼り紙が学内の掲示板に貼り出されたり、自治会等が作成したビラが撒かれたり、ベトナム戦争反対デモも散発的に行われていた。

 デモといっても当初は参加人数も少なく二十人程度の参加で、まだ切迫した緊張感はなく、どこか牧歌的だったが、それでもプラカードを持ち、シュプレヒコールを上げ、スクラムを組んでジグザグデモを行ったりしていた。
 初期の頃はデモも学内で行われていたが、「ベトナム戦争反対」となると、授業料値上げとか寮の自主管理の問題などとは質が異なってくる。問題を広く知らしめ、反対運動を学生だけではなく、より幅広く訴え、反対運動を広げていく必要がある。では、街に出よう。街に出てビラを配り、市民に訴えようではないか。
 こういう流れになるのは必然だが、学外に出るとなると今までとは違った緊張感がある。ビラ貼りで逮捕という事態も起こりうるわけで、多少の覚悟もいる。まさかビラ貼り程度でと思われるかもしれないが、実際にビラ配りで逮捕された例もある。それも比較的最近、この10年以内に、この国でだ。

 ましてや世界に目を向ければ今現在、ミャンマーでも香港でもウイグル自治区でも起きているように、逮捕理由などはどうでも付けられる。立ちションだって軽犯罪法違反で逮捕できるし、N自身、自転車の二人乗りで派出所に連れて行かれ、反則切符を切られた。当時、反則金の納付方法もよく分からず、警察署に行くと窓口の年配の警官は「二人乗りで反則金?」と、そんな例今まで見聞きしたことがないという顔をし、「許してくれるでしょう」と同情してくれたので、そのままにしていると検察庁から支払い命令書(通知)が実家に届き、それを見た父は何をしでかしたのかとビックリしたようで、慌てて連絡をしてきたことがある。
 自転車の二人乗りといってもずっと乗っていたわけではなく、同県出身者の新入生歓迎コンパの帰り道のことであり、友人が後ろの荷台に乗ろうとしたので、危ないから「乗るな」と注意したにもかかわらず、無理やり高校時代の同級生が飛び乗った瞬間、前から来た若い警官に呼び止められ、Nだけが交番に連れて行かれた。
 Nの制止を聞かず荷台に飛び乗った友達は警官に呼び止められた瞬間、飛び降りてどこかに消えて行った。それまでは仲よかった高校時代の同級生だが、この時以来、彼はNの前から完全に姿を消した。

 権力を保持している側はその気になれば、公務執行妨害でも、軽犯罪法違反、器物損壊罪など理由はどのようにでも付けて逮捕できる。逮捕してしまえば後は密室での行為。ごく最近でこそ取調室の可視化で録画するようになったが、それもまだごく一部。地方警察で導入されているところはほとんどないし、全取り調べが可視化されているわけではない。ましてや60年代後半には「取り調べの可視化」という概念自体が存在しない。
 逮捕した相手(被疑者)=法律違反をした悪人=目には目をの対応は当たり前、という認識が警察内で共有されており、デモ中に逮捕されれば手錠をかけられ、護送車内で手錠を捻り上げて痛め付けたり、取り調べ中にボールペンを指の間に挟み、その手を強く握って痛め付ける程度のことは当たり前のように行われた。いずれの場合も骨折でもしない限り痕跡は残らないし、痣程度の痕跡では検事調書段階では薄くなっているから、検事に訴えても認められもしないし、彼らもその程度のことは「当然」と認識している風もある。
 このような陰湿な「イジメ」はまだいい方で、機動隊による暴行はもっと直接的で激しく、現在、映像で見る中国やミャンマーその他の国で行われているのと同じか、それ以上のことが60年代にこの国でも行われていたのだ。だが、多くの人々はその事実を知らないか、記憶の片隅にあってもすっかり忘れているのだろう。
                           (4)に続く


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