▽数理哲学とパイプタバコ
社会科学や哲学系の本を読めば読むほど別の問題が持ち上がってきた。大学再受験は諦めたとは言え、依然として祖父や父が進んだ同じ機械科へ編入学する道は捨てていなかった。その一方で哲学や社会科学への関心は高まるばかりで、両者の間で今後の進路について悩むことが増えていた。
そんな中で見つけたのがバートランド・ラッセルの「数理哲学序説」で、それを読むことでかろうじて理系、文系の妥協点を見つけたような気になっていた。しかし、これが難しかった。恐らく後になって読んだヘーゲルの論理学か法哲学に匹敵するかと思われるほど難解で理解できなかった。
それまでラッセルと言えば反戦活動家として知っていたぐらいで、彼の哲学書は読んだことがなかったし、ましてや数理哲学という新しい分野については知識がまったくなかったから当然といえば当然。帰省した時、一度、父にラッセルの数理哲学の道に進もうかと考えていると言うと、「ほう、ラッセルを読んでいるのか」と、高校で数学を教えていた父の方が関心を示したぐらいだ。
結局、ラッセルから学んだのは形だけで、彼がパイプを咥えている写真を見て、やはり思索をするにはパイプを咥えた方がいいみたいだな、と勝手な理屈を付けて三越デパートまで出かけてラッセルが咥えているのと同じストレート型のパイプと「ハーフ&ハーフ」というイギリスからの輸入タバコの葉を買った。
これでまた横道に逸れた。難解な数理哲学は横に置いて、ラッセルを真似てパイプを吸うことに時間を取られだしたのだ。
傍から見るとパイプを燻らせている姿はゆったりとした時間を過ごしているように思えるが、実際にパイプを吸ってみると、とてもそんな心境にはなれなかった。リラックスどころか逆にパイプに神経を取られてしまう。紙巻きタバコや葉巻タバコと違ってパイプタバコはすぐに火が消えるため、常に火が消えないように気にしなければならない。実際にどれぐらい長くパイプの火を長持ちさせるか競う大会があるほどだから昨日今日吸い始めた人間が簡単に吸えるような代物ではない。特に買ってすぐのパイプは火持ちがしないのは、よく知られていて、しばらくパイプを吸って葉を詰める穴の周囲にタバコの灰がくっついてやっとスタートだから根気がいる。
まあ、そんなことを学びながら、なんとか吸えるようになるまでに一年近くかかった。そうしてムダな時間を費やしている間に周囲の環境が少し変化した。下宿を追い出されることになったのだ。
理由は人の出入りの多さで、何人もの人間が集まったり、入れ代わり立ち代わり人が出入りしだすと、それでなくても家が古いのに、床が抜けたりして修理する羽目にならないとも限らないから出ていってくれと言われたらしい。いや、人が出入りしたのは一時的で、今後は大勢の人間が集まったりはしませんからと言い訳したが、出て行ってくれ、の一点張りで「年寄りは頑固だからな。一度言い出すとこちらがいくら説明してもダメだ。そういうことになったから」と「風呂敷」から申し訳なさそうに言われた。
これには困った。「風呂敷」の所に移って三か月たつかどうかなのに、また下宿探しをしなければならないが、新学期前でもなければ下宿の空きを探すのは難しい。仕方がない。誰かの所にしばらく居候させてもらうか、と思っても殆どが三畳か四畳半の下宿生活で、一晩や二晩ならいざ知らず、しばらく共同生活できるようなスペースはなく、結局、地方研の連中などに「どこか知らないだろうか」と頼む以外にない。
そんなある日、Yが「俺の下宿の近くな、貸してもいいという家があるで。うちのおばさんに友達が下宿先を探してんねんけど、ない言うて困っとんですわ、と話してたらな、そのおばさんの知り合いらしいんやけど、そこに話してくれたらしいんや。そしたら二階が空いてるから貸してもいいという話になったらしい。どうする」と情報を持ってきた。
これは願ってもなかった。自分一人でよかったが二部屋あるなら、また「風呂敷」と一緒でもいいか、と考え事情を話すと二つ返事で乗ってきた。場所は「坊っちゃん温泉」の少し奥で、それまでの家より大学へは少し遠くなるが、自転車があるから十分行ける距離。代わりに「坊っちゃん温泉」には近くなり、銭湯代わりに温泉に浸かれることになったのはよかった。
かくしてまた「風呂敷」がQ大学院に進むまでの半年近く、二人の共同生活が続くことになった。
次回に続く
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