Kurino's Novel-8 2021年12月10日
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Nの憂鬱〜勉強不足だ、と一喝される。
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▽読書会の案内に興味を持つ
「読書会」の案内を見て、思い切って部室のドアを開けたNの目に飛び込んできたのはガランとした人気のない部屋で、壁に所狭しと書かれた墨文字が侵入者を睥睨し、無用の者は去れと迫ってきた。
その空間が放つ雰囲気に圧倒され早々に部屋を出たが、めげずに次の日の同じ時刻に部室のドアを開けてみた。だが、そこに人の姿がないのは前日同様だった。最初の時と違い少し余裕もでき、落ち着いてもいたので、誰もいないのを幸いに部室内をゆっくり見回してみたが、本の一冊もなく、棚にガリ版刷りの薄い用紙を綴じたものがいくつか立て掛けてあるだけだった。見るからに殺風景で、女性部員がいないのは一目で分かったが、かといって散らかっているわけではなく、整理好きな部員が多いのか、それとも部室がほとんど使われてないのか、壁の落書きを別にすれば室内は整頓されていた。
棚からガリ版刷りの綴じられたレジュメのようなものを一冊抜いて手に取った。会報誌のようだ。表紙をめくると夏目漱石の「草枕」が引用されていた。
「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。・・・人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。ただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい」という有名な冒頭の一節だ。
続けて「さすがは漱石先生、人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもなく、ただの人であるが、人の世は住みにくい、と見抜いている。ところが、住みにくい世を住みやすく変えるという発想がない」と批判している。
「草枕」を読んで、そんなことを考えたこともなかったし、そういう視点でものを捕らえる人がいるのだと思うと、ますます興味を持った。
その後も数回、部室を覗いてみたが、相変わらず誰もいないし、誰かが来た気配もない。この部は本当に存在しているのだろうか。実は活動していないのではないか。そんなことまで考えると誰かに「社研」のことを尋ねてみたくなった。といっても答えを得られそうな人間は同居している研究生の「風呂敷」以外になく、夜、彼に尋ねた。
「社研って部を知っていますか。いつ行っても誰もいないんだけど」
「社研に入りたいのか」
「いや、別に入りたいわけではなく、”共産党宣言”の読書会をすると貼り出してあったから、その読書会に出てみたいと思い、記された時間に行ったけど誰もいないし、その後も部室はもぬけの殻みたいなので、一体どういう部かと思って」
「ははは、そうか。社研には知っている奴がいるから話してやるよ。以前、新聞部にいた男が社研に移っているから。だけど、あそこは三回生と四回生しかいないぞ。いや、奴さんは五回生だったかな。まてよ、六回生という奴もいたな、ははは−。まあ、とにかくまともに行っている奴はいないよ」
それから数日後、地方研の部室に顔を出すと「ちょうどよかった。今いるようだから部室に行ってみろ」と「風呂敷」が教えてくれた。
ドアを開けると男が一人だけいた。てっきり部員が揃っていると思い込んでいただけにちょっと拍子抜けしたが、そこにいた男を見て思わず踵を返して部屋から出たい衝動に駆られた。
目に映ったのはとても学生とは思えないほど年上に見えたし、無精髭を生やし、目つきが鋭く、着ているYシャツは何日も洗濯していないか、随分長く着ているためか白が少し黄ばんで見えた。
「君か。H氏から聞いたが、読書会に出たいんだって。あの貼り紙はずっと前に出したんだが、誰も来ないから、そのままになっていた。だが、君の目に止まったのはよかった。君は幸運だぞ」
何がよかったのか、どこが幸運なのか分からないが、その男は小さな声で早口に喋りながら時々上目遣いに鋭い目を向けてくる。どことなく普通ではないような感じを受ける。何が普通か分からないが、とにかく学内を歩いている学生とは違って見えた。その普通でない部分に鋭い目つきが加わるから見られた方は萎縮すると同時に警戒心を抱き、早くその場を離れたくなる。よく分からないが、どこか秘密めいたものが彼の身体から漂ってき、それがこちらを不安にさせるのだ。
「じゃあ、いつ勉強会をするかなどの案内はまた貼り出しておくから、それを見て、来てくれたまえ」
彼の言葉通り、数日後に新しい案内が貼り出された。
<社研読書会>
期日:○月○日 午後○時から
教科書:大塚久雄著”社会科学の方法”(岩波新書)
一回目は第一章と二章
なんだ、これは。マルクス・エンゲルスの「共産党宣言」の読書会だというから参加してみたいと思ったのに、「社会科学の方法」だって。大塚久雄って何者だ。これでは詐欺みたいなものではないか。別に社研に入りたいわけでも、社研の読書会に参加したいわけでもないから、行くのはやめようかな。
Nの気持ちは急激に萎え、参加するかどうか迷った。それでも一応、書店に行き指定された本を買った。題名は「社会科学の方法−ヴェーバーとマルクス−」となっている。どうやらマックス・ヴェーバーとマルクスを対比しながら社会科学について論じているらしいということは分かった。
当時、マックス・ヴェーバーは名前を知っている程度だったし、マルクスも同様で、彼の著作は読んだことがなかった。だから「共産党宣言」を読んでみたいと思っただけだから、聞いたこともない大塚久雄はどうでもよかった。第一、「共産党宣言」に比べるとページ数が多過ぎる。
これを読まなきゃいけないのか。新書判を買って最初に思ったのはそれだった。そんな感じだから読んでも身が入らないというか、さっぱり面白くなかった。それでも読書会の当日、Nは部室に向かった。「面接」までして、断る勇気がなかったからである。
部室のドアを開けると8つの視線が一斉にこちらに放たれ、思わずたじろいだ。「君がN君か」。中の一人がそう言い、座るように促され、前回会った目付きの鋭い男が「”共産党宣言”の予定だったが、君に合わせて”社会科学の方法”にしたから」と変更理由を説明する。
いや、いや、こちらは「共産党宣言」を読みたかったのだから変更してもらわない方がよかったんですけど、と言いたかったが、口には出さなかった。
続いて早口で各人を紹介してくれた。「彼は法律専攻の中西で三回生。その横にいるのが教育学部の島。そして法律の鎌本で皆三回生。今日はこの四人だけど、後、経済の山上と教育学部の西がいるが、次回に参加すると思う」
やはり「風呂敷」が言ったように会員は三回生以上ばかりのようだ。これは大変そうだな、と不安な気持ちに襲われているNとは逆に彼らの顔は明るく、何か新しいオモチャを与えられた子供のような顔をしていた。かといって露骨に色んなことを聞いてくることはしない。個人的な興味を押し殺し、ある距離を保って接してくれているのがよく分る。だが、よそよそしさはない。いかつい見かけとは裏腹にやさしく、温かい紳士達だった、読書会が始まるまでは。
(2)に続く
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