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民主主義が崩壊するデジタル社会(2)


 人は不安になると、心の平静を保つためにより大きなものに縋り付きたくなる。
占い、血液型性格判断、オウム真理教が流行ったのもそうした社会的背景に乗ってである。
 人はあやふやな言い方より「こうだ」という断言を好む。そこまで言い切っていいのかと思う一方で、断言されることで「あやふや」な点をスパッと切り捨てて説明(?)する態度に、それまで感じていた一抹の不安を拭い去り(捨て去り)その通りだと自分を納得させる。

 この世には科学では解明できない不思議な現象はいくらでもある。そしてそこをうまく利用する新興宗教や宗教まがいは結構ある。
 人は病気になったり、事業がうまく行かない時などに人知を超えた力にすがりたくなる。多少半信半疑でも、もしそれで治るならと藁にもすがりたくなる。

 私自身、妻が膵臓ガンを患った時、長崎で気功で病を治している人がいると聞き、私自身が気功に興味を持っていたこともあり、妻を同乗させて長崎の気功師のもとに行ったことがある。
 その途中、長崎自動車道の金立SAを少し過ぎた辺りで高速道路をまたぐように虹が架かり、その中を抜けるように走った経験がある。
 それはまるで映画の1シーンのようで、不思議な体験だった。

 これだけなら別になんということもない出来事だが、同じ日に今度は長崎から福岡へ向かって自動車道を走っている時、金立SA近くの同じような場所で再び自動車道の上をまたぐように虹がかかっていて、その輪の中をくぐり抜けるように走った。

 一度ならたまたま偶然で終わるところだが、二度までも虹をくぐり抜けて走るとは、それも同じ日に同じ場所で。
 この2つの出来事が起きた時間帯が近ければ、ああ、先程の虹がまだ架かっていたのだ、で済む話だが、少なくとも4時間以上も間隔が開いていたから、そこに神秘的な何か、あるいは暗示的な未来を感じたとしても不思議ではないし、実際その時「2度も虹の中を走るなんて。きっといいことが起きる。長崎まで行ってよかった。ガンはきっと治る」と妻に言った。

 後々考えれば、たしかに珍しい現象ではあるが、気象条件が重なれば起こり得る自然現象だと理解できるし、それに遭遇したからといって奇跡など何も起きなかった。
 だが人は悩みを抱えている時、何かに縋り付きたくなったり、人知を超えた何かの力を借りたくなる。そして自分の経験を神秘的体験と信じ込んでしまう。
 しかし、それらのほとんどは科学的に解明できる事象なのだが、科学を信じない人には神秘的な力と映り、神秘主義に傾いていくことは往々にしてある。

 10年ほど前のことになるが、ある人から1枚の写真がデータ添付で送られてきた。「写真にこんな陰のような不思議なものが写っています。なぜかいつも神社などを撮ると陰のような白いボヤッとしたものが一緒に写るんです」という1文とともに。

 写真の知識が少しでもある人なら、ただ単に光が映り込んだだけでレンズを光源の方に向けていると必ず起きる現象だとすぐ分かる。
 太陽だけでなく電球等の光源でも同じで、レンズの正面でなく斜め上方でもよく発生する、ごく普通に起きる現象だ。
 しかし、それを「不思議」「神秘的」と思う、思い込みたい心が人には存在する。それが神社仏閣で手を合わせてお願いする(念ずる)程度で済んでいるうちはいいが、最近は声高にSNS等で主張する人達が増えている。

 人は他人が知らない情報を2次、3次発信することに優越感を感じる。
「あなた達はこういう情報を知らないだろう」「あなた達は騙されている」「これは一部の人間しか知らない真実だが、裏ではこんなことが行われている」と。
 事の真偽は二の次で拡散することに意義を見出している。

 業界の裏話などを得意気に披露する人達は昔からいた。
かつてはこっそり耳打ちすることで、その情報の貴重性、特殊性を際立たせていたが、今はSNSなどのツールを得たことで逆にスピーカーが大きくなり、より拡散することで貴重性、特殊性は薄まった代わりに、一般化、「常識化」させようとしている。
 「大きい声」が集団をリードする、集団の方向性を作っていくのは昔も今も変わらない。

 必要なのは情報の質を見極める力を身に着けることだが・・・。


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