思考の短絡化が「タイパ」に繋がり、犯罪を生む。(2)


 少し話が飛んだ。
タイパ(タイムパフォーマンス)を求める人は効率重視で、録画したものを見る時は倍速で見ると言う。話は大筋が分かればいい。そのためにはドラマの論理や場面が飛んでいても問題にしない。そういう視聴者が増えれば制作側も細かい論理や時代背景などを問題にせずつくる。
 当然、出来上がったドラマは雑なものになるから面白くない。時代物がコメディーになる。またそういう脚本家が好まれる。
 江戸時代はごく初期を除き、既婚女性と未婚女性を区別するため既婚女性はお歯黒に書き眉と定められた。
 昔の映画やTVドラマでもお歯黒に書き眉の女性が当たり前のように登場していたが、いつの頃からか既婚女性を演じる女優が太い眉のままだったりし、いまやお歯黒に書き眉などは映像の世界で見ることがない。
 にもかかわらず、時代考証担当者名が表示されていたりする。一体どんな時代考証をしているのだろうと思うが、こういう流れが今の「タイパ」へと続いている。

 経済コスト重視の風潮が経済力を低下させたように時間効率重視の風潮は思考力低下を招き、時間効率重視、言葉の短縮はコミュニケーションの低下を招く。
 コミュニケーションの低下は対話を低下させ、これが異国・異民族間になれば協力より競争重視になり、やがては異国・異民族間の戦争に繋がる。

 誰も彼もが手っ取り早く結果を求めたがっている。「恋愛は面倒くさい」から彼女はいないという言葉を30前の男性から聞いたのは15年余り前のこと。「草食男子」という言葉が流行っていた頃でもあるが、その頃から目的に至る過程、プロセスを面倒くさがる傾向が見られ、その傾向は弱まるどころか加速していき、今やよりせっかちに、より手っ取り早く目的に到達したがっている。

 例えば「性欲を抑えられなかった」からと、通りすがりの女性をいきなり襲ったり、わずかの金のために強盗をしたり、酷いのになると金銭強奪のために侵入し、抵抗されれば殺しても構わないと事前打ち合わせをし、奪った金は海外へ送金させるなど、とにかく結果ありきというのだから堪らない。
 いやいやそれは一部のワルがすることと思っているとトンデモナイ間違い。年齢、分野を問わず、ありとあらゆる人間(の皮を被った輩)が行っているから驚く。

 まず目を疑ったのはNHKの現役アナウンサーの住居侵入事件。被害者も同じ局のアナウンサーらしいが、一方的に恋慕の情を募らせての行動のようで、それ以前からストーカーまがいの行動を取っていたようだ。犯行当時、女性の部屋には男性がいたからよかったものの、もし1人だったらと考えると恐ろしい。
 いい年をして、という言葉は最近通用しなくなってきたが、妻子がいる身で後先を考えずそこまでの行動に出るかと思ってしまうが、結果や職業、現在の立場を思い至ったりすることもなく、目的を短絡的に追い求めた結果に他ならない。

 この他にも学校や交番、市庁舎などの職場で同僚と性行為に及んだり、大学教授が他人の論文の盗作、データー改ざん、大学院生に授業をせず単位を認定したり、生徒と1泊旅行する教師、盗撮や買春をする校長や教頭、予算2000万円を趣味の写真に使ったばかりか、約3億円の不正経理を行った岡山大の学長等々枚挙に暇がない程存在している。
 これらに共通しているのは出来心ではなく、数年にわたって不正や犯罪に手を染めていることだが、岡山大学と言えば国立の有名大学だ。そこの学長が3億円の不正経理と2000万円を自分の趣味に使うというのは公私混同も甚だしい。こんな学長の下でまともな教育ができるのかと疑ってしまう。

 もはやここまでくると個人の資質とか倫理観の欠如で済まされる問題ではない。こうした現象は日本だけなのか、諸外国でも同じように見られるのかは不明だが、少なくとも日本では20年近く前から緩やかに進んできている。最初は経済界で、次は若者の間で、そして今社会全体に広がりつつある。

 コスト優先が経済の停滞を招いたように、「タイパ(時間効率優先)」が思考の短絡化、低下を招くことを認識し、将来に危機感を持つべきだろう。
 1960年代後半は画一化を嫌い、様々な文化が生まれたが、今は他人と違うことを怖がり、その他大勢の中に埋もれたがる。その他大勢の枠中でほんのちょっとだけ差を付けて満足している社会からは新しいものはまず生まれない。
 回り道、遠回り、ムダな時間こそが必要であり、役立つと思うのだが・・・。


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