ホモ・サピエンスは滅亡に向かっているのか(V)〜歴史を繰り返す(2)


スターリンはレーニンに倣う

 スターリンはレーニンのこうした思考を忠実に学んだ。死期が迫った晩年、レーニンはスターリンを後継者(共産党書記長)に相応しくないという遺言を残したが、それは両者の力(師弟)関係が拮抗、あるいは逆転しそうな関係性の中で出てきたことで、果たして私的感情抜きの客観的評価だったかどうか。

 いずれにしろスターリンはレーニンに師事し、忠実に彼に倣っている。特に独ソ戦では「彼らの背後に機関銃を据え、200-300人を銃殺して、ユデーニッチに大規模な攻撃を加えるべき」というレーニンの言葉に学び、その通りに実行した。「ユデーニッチ」の部分を「ドイツ・ナチス」に置き換えて。

 ドイツ・ナチス軍の前に敗北を余儀なくされ、首都陥落かと思われるまでに追い込まれたが、その時スターリンが発した命令はレーニンの言葉そのものだった。1ミリの後退も許さず、後退したり戦線離脱を試みる者に背後から容赦なく銃撃を浴びせかけるよう命じ、実際その通りのことが実行された。
 ドイツ・ナチス軍はロシアの「冬将軍」に負けたわけではない。彼らが恐れたのはソ連赤軍兵士の愛国心でも国土防衛心でも、ましてや社会主義という理想を守るための攻撃でもなかった。彼らは前に進む以外に逃げ道がない赤軍兵士の、理解しがたい「狂気」に恐れをなしたのだ。
 ここには党と民衆の連帯感も、民衆に対する信頼感もない。あるのは支配者と被支配者という関係であり、そのことは少数民族に対するレーニンを中心としたソ連共産党、あるいは毛沢東を始めとした中国共産党の接し方にも見ることができる。

 革命後、スターリンが最初に着手したのは社会主義国家の優位性を世界に示すことだった。そのために実行したのが「5カ年計画」で、その中核に位置したのが農業の集団化である。
 そしてソ連全土で農業集団化とクラーク撲滅運動が展開されたが、1932年から1934年にかけて世界の穀倉地と言われるウクライナや北カフカース、ヴォルガ流域が天候不順により凶作に見舞われた。
 そのため現地の共産党幹部はスターリンに取り立てを止めるよう要望するも、スターリンは全く聞く耳を持たなかったばかりか、逆に厳しい取り立てを行い、食料徴発隊がウクライナの農民から種付けの穀物さえも強制的に徴発し、400万とも600万人ともいわれるウクライナ人が飢餓で命を落とした。

スターリンに倣った毛沢東

 過去の歴史を反面教師とするどころか、それに倣い同じ道を歩むのだから、つくづく現代人は、特に政治的指導者達は歴史に学ばない愚か者である。そうした愚か者が行う政治が過去を超えられるはずもない。
 結果、人民に幸福をもたらすと喧伝された社会主義、共産主義社会は資本主義以上に人民を抑圧する政治体制であり、独裁政治による抑圧は封建社会以上に人々の自由を奪い、搾取し、一握りの人間の欲を満足させるために圧倒的多数を奉仕させるという歪な社会体制でしかなかったし、そういう体制しか作れなかった。

 ソ連と中国はともに社会主義国家を樹立した兄弟国だったが、スターリンの死後、両国の関係が悪化。双方が「修正主義」「教条主義」と相手を批判し合い、実際に国境での武力衝突も起き、中国はソ連の核攻撃に備えて地下壕を張り巡らした。今、プーチンのロシアはウクライナに対して同じことを行っているから、まさに歴史は繰り返される。

 毛沢東はスターリンによく似ている。スターリンは権力掌握後、特に後年になるほど猜疑心が強くなり、次々に党の幹部を粛清していったが、毛沢東も晩年になるほど猜疑心が強くなり、かつての同志達を次々に粛清した。
 その最たるものが文化大革命だが、きっかけは1958年から1961年にかけて毛の指示の下に実施された「大躍進政策」である。これはスターリンが行った「5カ年計画」の中国版とも言えるもので、農産物と鉄鋼製品の増産命令で、農村では合作社・人民公社が設立されていった。いわゆる財産の共有化による共産主義社会の実現に向けた1歩である。

 スターリンの「5カ年計画」がアメリカ、イギリスに追い付き、追い越し、社会主義社会の優位性を示そうとしたが、結果は惨憺たるもので、大量の餓死者を出したという前轍があるにもかかわらず、毛は同じ轍を踏んでいるのだから、やはり歴史に学ばなかった。
 しかも死者数はスターリンの「5カ年計画」時より1桁多いから大失敗であり、その責任を取り、毛は国家主席の地位を劉少奇に譲り、大躍進政策の後始末をさせた。
 これって、政治の世界だけでなく企業でも同じようなことが行われ、業績が悪化すると外部から社長を招いて立て直しを任せるも、業績が立ち直りだすと再び自分が実権を握り表舞台に立った経営者は日本でも見かけるではないか。
 スターリンも毛もそうであったように、実権が他に移るのは彼らが亡くなった後。言い換えれば、独裁者や集中的な権力を握っている者(経営者)は死ぬまで権力を手放さないということだ。

 毛が唯一、歴史に学んだのはスターリンの死後、フルシチョフによって行われた「スターリン批判」で、毛は自分の死後、同じようなことが行われるのを極端に恐れ、批判者に様々な冠を付けて追い落としていった。彭徳懐、劉少奇は毛が仕掛けた反右派闘争、文化大革命で死に追いやられた。

 権力者はいかに猜疑心が強いかということと、彼らは決して歴史に学ばないどころか歴史を繰り返すということだ。このようなホモ・サピエンスが地球という星でこの先も生存し続けることができるのだろうか−−。


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