電子ペーパーQUADERNO(クアデルノ)

 


「コロナ」が変えた社会(Z)〜世界はファッシズムに向かう(3)
「ハードファッシズム」と「ソフトファッシズム」


「ハードファッシズム」と「ソフトファッシズム」

 インターネットは情報の民主制、公開に大きく道を開いたが、今世界で行われていることはその逆で、情報の画一化、統制であり、それはファッシズムへ続く道である。しかし、その危険性を意識している人は存外多くない。

 ファッシズムと言えば戦前の軍部独裁やヒットラーのナチスドイツ、あるいは北朝鮮、軍部独裁のミャンマー政権等を思い浮かべるかもしれないが、武力による強権的な弾圧政治のことだと捉えれば見誤ることになる。

 ファッシズムとは「ism(イズム)」という言葉が付くように、上から圧する強権的な方法のことではない。それも含まれるが政治的、思想的主義のことであり、近年、用いられている「〇〇流儀」というような軽い意味でも、もちろんない。

 私はファッシズムという言葉を思想的な「主義」という狭義な意味から、もう少し広義に「体制」という意味で使っている。
 上から強権的に圧し付ける体制を「ハードファッシズム」、一見強権的に見えないが相互に監視するように仕向けたり、なんとなく国民がそちらに向かっていくように世論を誘導していく体制を作り上げるのが「ソフトファッシズム」と。
 つまり厳密に分ければファッシズムには「ハードファッシズム」と「ソフトファッシズム」があり、現社会の潮流は分かりやすい「ハードファッシズム」ではなく「ソフトファッシズム」になっている。

 特に断らない限り私はこの2つを引っくるめてファッシズムと言っているが、最近、読者から私はファッシズムを上からの強権的な政治と捉え、それを問題にしているが、そういう体制を甘受し、積極的に広めている民衆の側にこそ問題がある。その視点が抜け落ちている、という指摘を戴いた。

 それについては「ソフトファッシズム」という言葉で、あるいはG.オーウェルの「1984年」を引きながら過去、何度か述べてきたつもりだったが、充分に伝わっていなかったのは私の力不足である。
 若干の言い訳めいたことを言わせてもらえば、広範囲な読者のことを考えるとあまり哲学的になってもとか、少しずつ角度を変えながら何度か触れていくうちに総合的に理解してもらえるのではないかという私の甘えもあった。いずれにしろ私の力不足は否めないことで、指摘いただいた読者に感謝したい。

 さて、現在、ハードファッシズムで統治しているのは北朝鮮の金正恩やミャンマーやタイの軍事政権など一部の発展途上国のトップで、主流はソフトファッシズムだ。
 中国の習近平は外に向かっては帝国化に、周縁部(チベット、新疆ウイグル自治区、香港、台湾)に対してはソフトからハードファッシズムへと大きく舵を切り出したが、そのことが西側諸外国にも少なからず影響を与えている。特に中国がコロナウイルス対策で取った行動は。

 ソフトファッシズムは上からの一方的な圧力、強制ではなく、アメーバーが侵食していくかの如く、真綿で締めるが如く、静かに、緩やかに、だが確実に世論を一定の方向に誘導していくのが特徴で、上からの強権的な思想統一でないだけに、一見ファッシズムと気付かない怖さがある。

 自由を束縛されながら、そうと気付かず、むしろ自由だと感じていることが怖い。例えばカウボーイに追いやられる牛や、ヤギ飼いや羊飼いによって一定の方向に行かせられているヤギや羊は自らの意思で草を喰み、行動していると思っているが、自由に動き回れるのは飼い主によって許されている範囲内であり、それを超えて動こうとすれば、たちまち囲いの中に連れ戻される。

 自由は「与えられた範囲内」で活動できる自由、許される範囲内で動ける自由でしかないのだが、家畜は一定の方向に「追いやられている」と感じず、自らの意思でそちらの方向に進んでいると感じているし、またカウボーイや羊飼いは上手にそう仕向けている。
 それと同じことが我々の社会で静かに進んでいる。
    (4)に続く

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