栗野的視点(No.860) 2025年6月10日
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ポピュリズム化するメディア〜長嶋茂雄氏死去で号外を出す新聞
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6月3日、巨人終身名誉監督の長嶋茂雄氏が89歳で亡くなった。
早速、テレビ各局はこぞってワイドショーや夕方のニュースで取り上げ、さながら全チャンネルが長嶋茂雄に占拠されたような感じになった。
他のニュースは皆、後ろに追いやられ、「長嶋茂雄死去」ニュースこそがこの国の一大事のような様相を呈した。
それでもテレビがそうなるのはある部分、分かる。彼らは日々新しい話題、国民が関心を持ちそうな話題、それが芸能人の不倫だったり、コメやキャベツの価格高騰、高齢者のペダル踏み間違い、猿や熊の民家への上がり込みであれ、その時々に注意を引きそうな話題があればテレビで流す。そしてどこかの局が流せば他局が後追いをする。
深く考えたり検証報道をすることなどは考えてない。とにかく瞬間湯沸かし器のようにその瞬間、瞬間の話題を取り上げ、消化していくのを使命と心がけているからだ。
そう「面白くなければテレビじゃない」はフジの専売特許ではなくなっている。特許の期限切れみたいなもので、この考えは各局に染み付いているから、いくらフジが脱却を唱えても、それはフジの問題、対岸の火事で自分達には関係ないと思っているから何も変わりはしない。
ただ見せられる方は多少うんざりするが、驚いたのは新聞数紙が号外を出したことだ。
スポーツ新聞が号外を出したのは分からなくもないが、一般紙までが長嶋茂雄氏の死去で号外を出すか。一国の首相が亡くなったわけでも、経済界の現役トップが亡くなったわけでもなく、いわば一介の野球人、それも現役ではない高齢の人間が亡くなったことで号外を出すとは。
たしかに彼が活躍した当時は「巨人、大鵬、玉子焼き」と言われた。ここで言われているのは「巨人」であり「長嶋」ではない。一方、「大鵬」は個人名だ。
大鵬が亡くなった時に号外が出たのだろうか。長嶋茂雄で号外を出すぐらいだから、大鵬死去の報は当然号外を出したのだろうと思うが、スポーツ界に詳しくない私の記憶にはない。
さて、号外を発行したのはどこの新聞社か。これは凡その見当が付くだろう。そう、読売新聞である。
まあ、これも納得だが、納得できないというか驚いたのは毎日新聞西部本社が北九州小倉駅前で、熊本日日新聞も号外を配布したことだ。
まさか毎日新聞が号外とは、と大いに驚いた。
このほかにも屋外配布まではしなかったが張り出し号外を発行した新聞社もあり、確認できたのは西日本新聞と神戸新聞の2社だったが、もしかするとその他の地方紙もあったかもしれない。
「張り出し号外」とは街頭で無料配布まではしないが駅前や中心商店街など人が集まる場所の柱等に号外を張り出すことだ。
読者離れが続き新聞社の経営が苦しくなっているのは分かる。それはテレビもそうだが、だからといって号外を出す内容なのか、本紙内で扱えば済むのではないか。
ジャーナリズムと経営というのはたしかに難しい問題ではあるが、なにも最近急に問題になったわけでもない。
情報の質とジャーナリズムの質はほぼ平行線を辿り落ちていっている。それが顕著になったのがデジタル化というだけだ。
デジタル化は新聞を含むメディアのポピュリズム化を招き加速させた。SNSと同程度の内容か、それに多少毛の生えた程度の情報しか載せないから新聞(紙の新聞もデジタル新聞も)を読まなくなる。
新聞のポピュリズム化を端的に表しているのが朝日新聞がデジタル版読者向けに配信する「あなたの推し記事を教えて」「読者が選ぶ推し記事」というやつ。
これって閲覧数、フォロワー数を競うSNSとまったく同じで、読者数を増やすために拡散を促しているのと同じだ。
この構図がフェイクニュースを作り出し、ジャーナリズムの権力を監視するという重要な役目を放棄していることである。
その先に待っているのはジャーナリズムの死−−。
いや、ジャーナリズムはマスメディアの中ではすでに死んでいた。
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