長崎ランタン祭りで湧いた疑問〜唐人屋敷跡と獅喰と饕餮(4)


「寒かったです」

 せっかく住職に出て来て貰い「獅子」の話だけで終わるのは失礼というかモッタイナイ。
 そこで唐人屋敷について尋ねると、当初の迷惑そうな顔はどこへやら、案外話好きなようで20分近くも本堂前で立ち話をして頂き恐縮した。
 知らないことや納得できる話を住職から色々聞かされ、話が面白く、まだまだ聞きたかったが20分近くも立ち話をしていたので、これ以上引き留めるのは失礼と、お礼を述べて辞したが、一緒に話を聞いていたパートナーも恐縮し「ありがとうございました。お寒かったでしょう」とお礼を述べると、住職はよほど寒かったと見え「寒かったです」と告げ、足早に庫裡に戻られた。
 恐らく当初は2、3分のつもりで出てこられたに違いないだろうし、吹きっ晒しの屋外、しかも日陰だったからセーター姿は風を通したことだろう。申し訳なかったと思ったが、こちらは大収穫。
 ランタン期間中は除き、長崎に来る時は大体キリシタン遺跡目当てで巡っていたが、興福寺、崇福寺がある一帯は寺町。寺が随分多いことに気付き、次回は寺巡りで訪れようと2人で話し合った。

 最後に唐人屋敷の疑問。
 住職の話で「唐人屋敷」は誰それの屋敷という使い方をされていたわけではないと分かった。「屋敷」と表記するからイメージするものが違ったわけで「地区(エリア)」のことである。
 徳川幕府がキリスト教を禁止、鎖国政策をとり、オランダ人の居留地を出島に限定したように、唐人(中国人)の居留地と定めた地区が「唐人屋敷」と呼ばれた。
 イメージとしては江戸の吉原のようなもので、一画を囲い、出入り口は1箇所だけで、そこに大門が設けられ出入りを厳重に監視・管理された。
 「屋敷」の広さは約9,400坪。周囲を練塀や堀で囲われていたから、たしかに巨大な屋敷とも言える。「屋敷」内には2階建ての長屋20棟が建てられ、2,000人が暮らしていたという。
 他にも興味深い話があったが、それらはいずれ機会があれば。

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