栗野的視点(No.820) 2024年2月22日
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長崎ランタン祭りで湧いた疑問
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ これはもう癖と言っていいだろう。とにかくちょっとでも疑問に思ったことをすぐ聞きたがる。小さな子供が「なんで」「なんで」と何でも聞きたがるが、あれと同じだ。しかも年齢とともに頻度が増してきた。
今回の長崎ランタンフェスティバルでもそうだ。きっかけは小さなことだった。昼過ぎ、新地中華街会場でランタン飾りを見た後、夜の変面ショー、龍踊まで時間があるからと唐人屋敷会場へ向かった。
場所は新地中華街とほぼ同一エリアで中華街から歩いて行ける距離だから時間潰しにはちょうどよかった。
大体が事前に情報収集し、入念な計画を立てて動くタイプではない。大雑把な目的だけを決め、あとはあっちを覗きこっちを覗きの行き当たりばったり。だから誰もが見る有名な場所に行っていなかったり、行っても肝心な所を見落としていたということは結構ある。
その辺りを補ってくれるのがパートナーで、主要箇所はきちんと押さえてくれるが、そこから横道に逸れて動くことはままある。
「唐人屋敷」で抱いた疑問
長崎ランタンフェスティバルは私は3度目。パートナーとも2度目で、前回は6年前に来ている。だから今回は欲張らず新地中華街会場をメーンに、あとは周辺をぶらぶらという程度に考えていた。
唐人屋敷会場エリアは目立つランタン飾りもなく、観光客の目を引くイベントも少なく、どちらかといえば裏通りの静かな会場的な雰囲気の場所だが、派手さを避け、静かに天后(てんこう)堂など4堂巡りをするにはいいエリアだ。
ここでちょっとした疑問が湧いた。「唐人屋敷跡」というからには、ここら辺りは中国人が多く住んでいた唐人町で、唐人屋敷がどこかにあったはず。建物は残ってないかもしれないが、遺跡なり土塀なり、ここが屋敷跡という場所を確認したいと思った。
「この辺は唐人屋敷跡と言いますが、町名は館内町です」
天后堂から少し下った所にある土神堂(どじんどう)前の案内所で老婦人(いや失礼、年配女性)に話しかけると、そう言われた。
後ほど地図で確認すると唐人町という地名は存在しなかったが、地元の人と話す時、私は唐人屋敷跡一帯を唐人町とずっと言っていた。まあ、それでも通じていたが。
私のイメージは山口・萩の武家屋敷や鹿児島・知覧の武家屋敷、あるいは地方の宿場町に残っている本陣・脇本陣跡のような形で「唐人町」に唐人(中国人)の屋敷や家跡がこのエリア内に数軒、最少でも1軒は残っているはずで、その場所、痕跡を見たいと思ったのだが話が合わなかった。
それは「唐人屋敷跡」に対するイメージが2人の間で食い違っていたからで、そのことは後で分かった。
「ここが唐人屋敷跡というのは分かるんですが、その屋敷があった場所はどこに行けば見えますか」
「以前は唐人屋敷の門もここにあったのですが、今は興福寺さんに移されています。興福寺さんに行けば見られますよ」
「そうですか。天后堂に媽祖(まそ)様が祀られていますよね。その横に関羽と武人がいますが、腹帯の所にしている飾り物は何という名前ですか。あれ、何とかといったんですけどね」
「媽祖様の横に立っている武人ですか。手をかざして見ている方が”千里眼”ですよね。腹の所の飾り物? 分かりません」
こんな質問をする旅行者はあまりいないと思うが、とにかく気になると何でも聞きたがるのは悪い癖だ。
(2)に続く
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