栗野的視点(No.870) 2025年8月24日
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岡山の緩和病棟に友人を見舞う。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 今回は岡山県帰省中に是非会いたい人がいた。
NCセンターのK氏である。
K氏に初めて会ったのは18年前。氏が会長を務めていた岡山県の製造業中心の研究会に講師として呼ばれた時で、以後も何度か呼んでいただいたりもした。
K氏が社長、会長時代に会社には取材を含め何度かお邪魔したことがある。近年は近くに行けば連絡して会社に寄り、お会いして話をするのが楽しみで、一度などは自宅で採れた野菜を土産にもらったこともある。
私のメルマガも読んで頂いており、お会いした時はいつも「いつもながら鋭いご意見を」などと言われるなど、知人というより友人(年上の方に「友人」という言い方はおこがましいのだが)のような関係で交流を続けてきた。
そのK氏から年初にメール年賀が届いた。
「私の最近の事情をご連絡します」という一文に続き、ご自宅をバリアフリーにリフォームされたことなどが綴られていたが、その後に続く文面を読んで驚いた。
胆のう癌に罹患し「12月初めより抗がん剤点滴治療」を開始しているとあった。
昨年9月に行った会社の集団検診で異常が分かったみたいで「腫瘍マーカーの数値が異常に高かった」ので、検診医から精密検査を促され、その検査で胆のう癌と判明。そして12月初めから抗がん剤の点滴治療を始めたとのこと。
胆のう癌の基本治療は初期段階では手術による切除。だが、中期以降は手術ができず抗がん剤治療になる。K氏は点滴による抗がん剤治療を始めたとあったから中期以上ということだ。
なんということだ。
だが、この段階では入院されている風はなく通院による点滴治療のようだった。
それでも「抗がん剤の点滴治療を5月まで行う」とあったから、「春過ぎには帰省する予定ですから、その時に元気なお顔を拝見しに行きます」と書いて返信したが、K氏のメールの最後の1行が気になった。
「どうか 神 のご加護がありますように」
前年にお会いした時に「5月の株主総会で会長も辞めようと思っている」と言われていたので、その時は「それがいいでしょう、これからは少しノンビリ過ごしてください」とお伝えしたが、その数か月後にまさか癌に罹患していたことが発見されるとは、それこそ互いに知る由もなかった。
3月、その後の状態が気になりメールで状況を尋ねたところ「1クール3週間で計8クール実施する予定」だったが「3クールで休止し採血をしてゲノム検査」をしている。「結果が分かるまでに1か月半ほどかかりそう」「このゲノム検査で私のガンに合致するくすりが判明することを祈っています」と返信が来た。
妻が膵臓ガンでなくなった時、後数年もすればガン治療は飛躍的に進歩すると考えていたが、10年余り経った弟の時に何も進歩していないと知ったし、それからさらに10年経ってもガン治療はほとんど進歩していないと思い知らされた。
一体いつになればガンが不治の病でなくなるのか。
だから今回の帰省目的の1つにはK氏の見舞いがあった。
そして帰省早々K氏に電話した。
「1週間前に入院したんです」
てっきり自宅療養になっていると思っていたが入院と聞き、驚きどこの病院か尋ねると岡山市内の中央病院とのこと。
それなら見舞いにも行きやすいと思い、その数日後早速病室に見舞った。
K氏が入院しているのは緩和病棟だった。
病室に入るとお元気そうに見えたが身体は随分とほっそりとし「20kg痩せました」と笑って言われたが、その言葉に以前のような力強さはなかった。
病院に伺う前、本人に電話して見舞いが可能か確認し、口にできるものも尋ねると「固形物は一切ダメ」と言われたので、病院には手ぶらで行った。
病室で20分近く話している間にK氏の言葉が明瞭になり出したので、飲み物は何がいいか尋ね、病院の売店で飲むヨーグルトや固形物が一切入ってないジュース等を買って病室に戻ったが、見舞客がほとんどないのではないかと感じた。
そう感じたのは言葉の発し方からで、話をしている内に徐々に言葉がはっきりし出したのは、それまで人との会話が少なかったからだろう。
病室に1時間近くもいたことに気が付き、病人を疲れさせてしまったのではないかと慌ててお暇。
「帰福する前にもう一度来ますから」
そう告げて病室を後にした。
K氏から5月の株主総会で会長も辞めると聞かされた時、実は「卒社の会」をしてあげればいいのにと思っていた。
いや福岡だったら私が声を掛けて参加者を募ることもできるが、何分岡山県では知り合いが少なく私が声を掛けるわけにもいかない。
望ましいのはK氏の後任社長が「卒社の会」を主催することだが、そんなことを考えながら同社のHPを見たが、そこにK氏の名前は一切載ってなかった。
オーナー経営者ではないが、会社を立ち上げ、色々尽くしてきた人物なのにと思うと、少し寂しくなった。
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