|
歴史の歯車は逆回転している
さて、21世紀は20世紀よりは進化しているだろうか。
「文明は進化する」「歴史は進歩する」という前提に立てば、当然21世紀はそれ以前の世紀より進化してきたはずである。
人類は猿人から原人、旧人、新人(ホモ・サピエンス)へと進化してきた。だがホモ・サピエンスの歴史は進化の歴史だろうか。
たしかに2足歩行し火を使い、文字を発明してきた。
しかし文明は発達してきたかというと必ずしもそうとは言えない。過去の文明が現代より劣っていたとは必ずしも言えないどころか、逆に現代より優れていたとしか考えられないものが多く残っている。
ただ、それらの中には文字を持たない文明だったりし、後世で検証できないが故に現代のような機械化ではなく奴隷を使役に使った人力で建設されたとか、建設に何十年も要したはずだとか、非科学的な信仰中心の社会で占いによる「神のお告げ」で政(まつりごと)も決められていたと考えられている。
ただ、これらの見解は過去の歴史は現代より劣っているという前提での見方だ。
そうした考え方の元になったものにダーウィンの「進化論」がある。
ダーウィン自身は「進化」という言葉も「進化論」という本も書いてなく、彼が著したのは「種の起源」という著書であり、その中でも「evolution(進化)」という言葉は慎重に使わないようにしていたにも関わらず、いつの間にか「ダーウィンの進化論」という言葉が独り歩きし広がって行った。
evolution(進化)という言葉から人はどういったことを想像するだろうか。
「より高次元に進む」あるいは「ある方向に進む(後退ではなく前進)」ということをイメージするだろう。「環境に適合するように変化して行った」というのも同じような意味合いである。
ダーウィンはそれらのイメージを避けるために「evolution」という語をほとんど使わなかった。
人類は「神が導く方向」へと進んで行った(進化した)わけでも、環境に適合するように変わって行ったわけでもない。
言ってしまえば、たまたま生き残った種だったわけで、それはホモ・サピエンスという種が環境に適合する術(すべ)を得ていたわけでも、高度な文明を持っていたわけでもない。
つまり賢い種だったから生き延びてきたわけではなく、たまたま火を使う術を覚えたからだったり、言葉が他の生物より豊富だったり、文字を発明したからであったり、他の生物より弱いから集団で戦わざるを得なかった、あるいは団結し集団で戦うことを覚えたから生き残ってきたわけだ。
人類は進化したわけではないのだ。
たしかに古代文明に今以上に優れた文明の跡があるし、最近の研究や新たな調査で、そうしたことが明らかになってきている。
また2020年代の人類より動物の方(チンパンジーだけでなく)が家族愛に満ち、社会性(集団による助け合い)を身に着けているという研究発表もある。
卑近なところではNHKTVのドキュメンタリー番組「ダーウィンが来た!」でも、動物達のそうした例を映像で捉えている。
これが動物ではなく人間界なら「倫理観」が備わっていると言われるのだろうが、動物にはそこまで高度な頭脳は備わっていないと考えられているから、さすがに家族愛、集団の社会性までは「ありそうだ」と唱えられても倫理観までは言われない。
倫理観は別にしても犬や猫や猿、さらには熊でさえ扉や鍵を開けて出入りする例が映像で捉えられているのを見れば「猿の惑星」はフィクションと切って捨てることができるだろうか。
実は動物達の方が賢くなってきていて、ホモ・サピエンスは機械の進歩を除けばそれほど賢くなっていないのではないか。
少なくともこの2世紀程の間、ホモ・サピエンスは進化どころか退化している、というのが言い過ぎなら進化したり退化したりを繰り返しながら緩やかに時を重ねてきたと言ってもいいだろう。
ところが、ここに来てその動きが速まっている。
まるで時計の針を高速で巻き戻すように。
今、世界は民主主義ではなく王国が、強権政治が潮流になっている。
民主主義による統治はすでに古代ギリシヤで行われていたし、ローマ時代には元老院政治も行われていた。
要はギリシャ・ローマ時代にすでに今の政治形態とさほど変わらない政治が行われていたわけだし、この数年を見るだけでも倫理観は地に落ちており、ありとあらゆる犯罪が横行しているし、政治の世界はすでに見たように私物化・強権化され、このまま時代が進めば次の世紀は封建時代まで逆行しているのではないかとさえ思える。
爛熟した文明は滅びる−−。
そうならないことを願っているが、今、世界はその瀬戸際に立っているように思えてならない。
|