2.「リアル」と現実の違いに気づかない
このところ不思議に思うのが、「やっていません」と自らの犯行を否認する人間が多いことだ。昔は逮捕されると観念して白状したものだが、いまは一様に認めない。なかでも最も驚いたのは、現行犯で逮捕されたにも拘わらず「やっていません」と否認した男がいたことだ。冤罪事件を習っているのか、それとも現実が見えていないのか、とにかく否認する。
実はネット社会になり、気になることがある。インターネットの普及初期には「バーチャル」という言葉がしきりに使われていたが、それがいつの間にか「リアル」という言葉に取って代わられ、「バーチャル」という言葉はほとんど使われなくなった。
一体このことがなにを意味するのか。それは「バーチャル」と「リアル」が同等になり、両者が入れ替わったことを意味している。「現実(リアル)」の重みがなくなったということだ。いま目の前で起こっていることは「バーチャル(仮想)」と同じ程度の「現実」という捉え方である。
この「リアル」という言葉は当初はネット社会の中でだけ通用していたが、いまではメディアがこの言葉を拡大再生産している。
またしてもメディアの罪を問わなければならない。なぜ彼らは愚かさを再生産し続けるのか、自らの罪に気付いているのか、と。
「リアル」が「バーチャル」と同じ地平になることにより、いま目の前で起こっていること、自分が犯したことは「リアル」での出来事であり、それは「バーチャル」と同じ意味合いであり、現実の出来事ではない。つまり自分は「やってない」。だから否認するのは当然という思考回路が出来上がる。
この先に待っているのは、説明するまでもないだろうが、生命の軽視である。
現実はリセットなどできないし、人生はリセットできない。しかし「リアル」な世界は「非現実」世界だから、リセットできると考える世代が今後ますます増えていくだろう。こうした現実に私達はどう立ち向かっていくのか、いけばいいのか。
3.退行する大人、低年齢化する日本人
いま人類はどんどん退行している。進歩ではなく、退行しているのだ。それが言い過ぎなら、低年齢化していると言ってもいいだろう。
それは主に日本人の大人に顕著に現れている。例えば「女子」という言い方。女子とは女の子のことであり、それは大人の女性を意味する言葉ではない。ガールも同様だ。
それなのに、いい大人の女性が「○○女子」「○○ガール」と呼ばれて嬉々としている。欧米では大人の女性に「○○ガール」と言えば怒られる。相手をバカにした言葉だからだ。それはそうだろう。「あなたのオツムは12歳以下の少女並み(空っぽ)ですね」と言われて、それを褒め言葉と勘違いして喜ぶのは日本の現代女性ぐらいなものだ。
相手を褒めるなら「Lady」。Ladyという言葉は上流階級の女性を指す言葉でもあり、「教養もマナーも身に付けた女性」という言葉だ。一方、Girlは売春婦を指す言葉でもある。例えば他人から「あなたは福岡girlか」と言われれば、福岡の売春婦かと言われたことと同じで、言われた方は激怒するのが当たり前だ。
(3)に続く #崩壊するニッポン
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