方言と地方を復権させるか、藤井の「風」(3)
2周遅れのトップランナー


2周遅れのトップランナー

 地方の言葉、方言が中央の言葉に駆逐され出したのはいつ頃からだろうか。それは東京一極集中と無関係ではないだろう。特に若者が東京ブラックホールに吸い込まれるように東京に出て行き、そこで東京弁を真似して使う。それは標準語ではなく東京弁で、東京弁を喋ることが都会の文化を身に着けることであり、カッコイイことだったのだ。
 どんなに最先端のファッションで身を飾っても、喋る言葉が九州や沖縄、東北の方言だったり、地方訛りの言葉ではバカにされもし、卑下もしたから、地方から東京に出た若者は地方訛りを捨てて東京に馴染むことに腐心した。

 今から30年近く前、「Uターン」「Iターン」が言われ、地方自治体が若者の地方回帰に力を入れていた頃、沖縄県を取材したことがある。その時、県庁の担当者が言ったのは、沖縄県は他県と違い「Uターン」や「Iターン」の促進ではなく、その逆で、いかに就職先で定着してもらうかに力を入れています、という言葉。県外に就職しても3年以内にほぼ帰って来るとのことだったが、その理由を尋ねると「文化が違うから」という答えが返ってきた。

 「文化の違い」という意味が分からず、その後、地元のIT企業などの若い経営者を複数取材し、最後に同じことを尋ねたが、いずれも返って来たのは「文化の違い」という言葉。
 文化が違うのは分かるが、隔靴掻痒。納得できず、更に一歩踏み込んでみた。
「ヤマトンチューによるウチナンチューへの差別ですか」
 この問いかけに答える代わりに若き経営者は「例えば」と言い、次のような話をした。
「我々の同朋は台湾にもイギリスにも、世界の色んな所に行っていますが、彼らは皆、その地で定着しています」

 見た目や特徴的な言葉のイントネーションによる、地方出身者に対する蔑視、偏見、差別である。こうした差別を受けたのは九州や東北出身者も同じだったが、方言や地方訛りを消せば見た目では分からなくすることができた。だが、沖縄出身者は顔が特徴的なこともあり、喋らなくてもそうと分かり、それが謂れなき蔑視を生み、コンプレックスになり、3年以内にほとんどの人が離職して本土から帰って来るのだったが、今以上に当時は県内に産業がなく帰郷しても働く場所がない。生活に困るだろうと思ったが「ゆいまーる」精神が「アダになっている」と県職員は言う。
 「ゆいまーる」とは沖縄独特の「相互扶助」精神のことだ。「ゆいまーる」で助けてくれるから、しばらくはなんとかなる。これを甘えと取るか、助け合いの精神と取るかは、人によっても、時代によっても変わるだろう。

 1周遅れのトップランナー、という言葉があるが、「ゆいまーる」や「藤井風」現象は「2周遅れのトップランナー」と言っていい。今、時代に求められているのは自助より相互扶助、中央一元化より多文化、多元化社会だ。
                           (4)へ続く


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